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 古希のひとり言

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年9月13日

三重県大紀町長 谷口友見

我が町大紀町は、1万人余の小さな町である。5年前の平成17年に旧大内山村、旧紀勢町、旧大宮町が合併し大紀町となる。皇室の祖先神である天照大神を祀る皇大神宮(内宮)と食物の神である豊受大神を祀る豊受大神宮(外宮)の鎮座する伊勢市より西方に車で30分程走ったところに伊勢神宮の別宮滝原宮(たきはらのみや)があり、その麓に役場本庁がある。
6年程前には県下で13市56町村あったが、現在では14市15町となり寂しい限りである。財政面においては県下最下位であるが、三重県南部に位置する我が町周辺も皆どっこいどっこいの財政力である。旧町当時から貧乏所帯には慣れた仲間たちである。皆元気だけが取柄の猛者揃いである。
少し我が町を紹介させて頂くと、日本有数の多雨地帯であり大型台風の通り道でもある。日本列島本州のまん中に位置する。
紀伊半島に上陸する台風は大型台風が多く、その最たるものは昭和34年の伊勢湾台風である。近頃では今後30年の内には東南海地震・南海地震・東海地震が併発する恐れがあるそうである。65年前の昭和19年12月7日の東南海地震で64名の生命を失った錦地区は我が町のたった1つの三種漁港をもつ漁師町である。
17年前の平成5年夏に震度6、潮高17米の津波で死者230人、行方不明者29人の大被害を受けた奥尻島に2度お伺いし、当時の町長さんに御指導を受けたものである。三大地震併発だと潮高10米以上とのこと。平成6年から合併後も町をあげての防災対策に取り組んでいる現状である。
我が町には、ちょっとした自慢のできる産業もある。それは、松阪牛の生産地ということである。およそ2千頭飼育しており、地元では七保牛と呼んでいる。味は極上である。しかしこの春は大変だった。例の口蹄疫に翻弄された100日間であった。野呂県知事のご英断により我々県町村会の支援の願いを僅か3日間で決めて頂き県下の黒牛、乳牛農家が助かった。
先般7月21日に上京し、全国水産業振興対策協議会に出席した際、島根県の松田和久隠岐の島町長さんの発言で日本海に浮かぶ竹島問題でのご苦労を伺った。竹島は本島から北方に157キロメートル離れたところに位置するそうである。全国町村会の仲間の皆さんも先行き不安定な第一次産業の諸問題を抱えられご苦労をされて居られると推察するが、竹島問題については水産業の問題だけではなく、国家の威信に係る歴史のある大きな領土問題である。私には到底想像もつかない苦労があることを知る。
願わくば領土問題をはじめ基地問題等、国際問題については歴史の重さと先人達の血の滲んだ教訓を大事と考え、国家としての強い胆力を持ち続けるべきであり、機会ある毎に世界の1人としての自覚の上で意思表示を相手方にきっちりと示して頂きたいものである。特に竹島問題は国民レベルでは仲良しの隣国との問題である。国家が親としての認識を持つべきであり、前線で頑張っている隠岐の島町の町長をはじめ町民の心情を考えて頂きたいものである。
同じように友好国である日米安保の課題の1つである沖縄普天間基地の問題には、ゴルフに例えればOBばかりを出し続け、懲りもせず竹島問題では私の浅知恵の限りであるがシャンクである。原因はヘッドアップではないだろうか。先頭に打つオーナーとしてきちっとしたアドレスが求められる。
現地の本当の事情は私には判らないが、テレビや新聞の情報から察するに水産業で日々の生計を立てられている島民のみなさんには大きくて切実な問題だろうと思う。
国境問題のような大きな問題ではなかったが国策である芦浜原子力発電所問題で、青年期から旧町当時の町長としての十数年間を併せて40年間、誰にも語ることの出来ない思いをした1人として松田町長の辛さを察するばかりである。松田町長さんには全国の町村会の仲間が“頑張れ!!”と声援を送っていることを伝えたい。その内、機会があれば町村会の仲間と訪ねたいものである。