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 生涯の宝物

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年7月26日

愛媛県砥部町長 中村剛志

砥部町は愛媛県のほぼ中央に位置し、北部は県都松山市に接しており、面積100平方キロメートル、人口22,600人の町です。
平成17年1月1日、旧砥部町と旧広田村が合併して新砥部町が誕生しました。
合併までには、いろいろなドラマがありました。静かで保守的な町に「合併先の決め方に問題あり」と、全国でも初の、町長と町議のダブルリコール運動が起こり、町長は辞職、議会は解散となりました。その後の選挙で、政治経験の無い民間人の私でしたが、当選させていただきました。
さて、本題ですが、私の宝物は高校を卒業してから3年間のサラリーマン生活にあります。
高校最終学年になり、進学するか就職するか少し迷いましたが、勉強もあまり好きでなく、成績も大して良くなかった私は就職を選び、旅行会社へ入社することになりました。
当時(昭和38年)は、卒業前であっても、研修名目で会社へ出社するのが当たり前でした。
2月中旬、無事、卒業試験を終えて、詰め襟の学生服で初めて出社し、「今日からお世話になります。中村剛志です。よろしくお願いします。」と所長さんにあいさつしました。すると所長さんから「今度入る中村君か。あのなあ、言っておくけど、会社のお金、1円でもごまかしたら、すぐ分かるんゾ。1円が大切なんじゃから。」と言われ、私は「そんな人間に思われているのか!今日で会社は辞めよう。」と本気で思いました。新入社員の私にはキツーい一発でした。
しかし、今になってみるとまさにそのとおりで、お金に人生を左右された例をいくつも見てきました。お金は魔物であり、それだけにきちんとした取り扱いをしなければなりません。
また、直属の上司からは「男は仕事ができてナンボ。同級生には負けるなヨ。聞いてきたら何でも教えてやる。」「給料は、会社に儲けさせて、その中から貰うものだ。」とも教えられました。
松山商業高校から、一緒に入社した8人が、それぞれ別の事業所に配属されていたので、競わせようとしたのかもしれません。「聞いてきたら教える」は自分で積極的に考え、行動するようにとの教えであったと思います。
「儲けさせてから貰う」は、まだ仕事もロクにできない私が「給料が安い」と言ったのかどうか定かではありませんが、妙に頭に残っている言葉です。
そして、5月の中ごろだったでしょうか、お客様と切符のキャンセル料のことでトラブルとなりました。私は、規定どおりで正しいと思っていましたから、お客様の話を聴かず口論になりました。
そのとき、その場をとりなしてくださったのが定年間近の先輩でした。後で「中村君も若いのう。ええかな、お客様は神様じゃ。間違っていても正しいんヨ。あんたが理屈で勝っても、お客さんは腹を立てて、もう二度と切符買いに来てくれんぞな。」と言われました。
規定(理屈)だけで応対する若造に、接客技術の未熟さを戒め「お客様のありがたさ」を説いてくれたものと思います。
「お客様は神様」という考え方は、それからの旅行業経営、町行政においても指針となりました。
私には、3年間のサラリーマン生活、37年間の旅行業経営、そして、7年間の町長の経歴がありますが、なぜか、一番印象に残っているのは、サラリーマンの3年間であり、それも最初の4カ月です。社会人としてのスタート時に、生涯の宝物を頂いたのは、なんとラッキーなことだったろうと、いつも思っています。

「町民の皆様はお客様であり、株主である」