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 変革への期待を求める地方

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年12月21日

岩手県岩泉町長 伊達勝身


結果として平成の大変革とも云うべき衆議院議員選挙が終わり、鳩山民主党内閣が誕生して早4ヶ月の時間が経過しつつあります。戦後60年以上の時間を要して、まさに革命的な政権交代が実現し、我々の地方を取り巻く環境も大きな変革が訪れるのでは、と、息を潜めて世の中の動きを注視している様子であります。最近では経験したことが無い大変革でありますが、国民が自ら求めた結果であったと思います。それまではいかに内閣が変わろうとも、政権そのものに変化は無く、その中では、我々の事業陳情や要望活動は役所の方に重きを置いていたことでありました。特に小泉政権を除いて頻繁に内閣は変わり、ためにいきおい役所に用件の相談に赴くといった構図が出来ておりました。勿論その際にも国会議員の力を借りることもありましたが、その数倍の頻度で役所詣でに意を注いで参りました。それが最近は、各種大会や決起集会等には役所からの出席を見ることが無くなり、専ら政治家の出番が多くなってきているようです。
今回の政権交代を考える時、過去の大変革であった明治維新に次ぐ、いや、それ以上の大変革であるかもしれないという感じを受けるのは、私一人のみでは無いと思います。勿論変革の意味合いや、その必然性等から勘案すると、明治の大変革はいろいろな考えはあるでしょうが、私は幕藩体制そのものが内部から変革の芽が生まれ、それが成長してあのような大きな変革に成長したものとの認識に立っております。約300年にも及ばんとする長い時間の中で、国民の中に少しずつではあるが変革を求めるマグマが蓄積され、そのエネルギーが一気に動き出したものであると思います。であるからこそ旧体制はいとも簡単に崩れ去ったものではないか。勿論維新の主役であった各藩の下級武士に対する外国からの情報提供や、資金の援助等も見逃せないところでありますが、やはり内側からの変革を求める力が炸裂したものではないかと思います。
そんなことを考えながら今回の衆議院選挙を考えると、共通した国民のエネルギーが発露されたという捉え方があっているのでは、と思うところです。幸せになろうとして努力しても報われない。自分の明日が見えてこない。その憤懣の蓄積がマグマとなり噴き出したことではないでしょうか。
以前の選挙であれば、地盤、看板、カバンと血統選挙であり、言い方はまずいかもしれませんが、いわゆる地方の有力者でなければ叶うことは少ない分野でした。4年前の郵政選挙から兆しは見え始め、今回の選挙でもそれまで政治とは縁遠かったような方が一夜にして国会議員になるという、まるで魔法を見せられているかの様でありました。政策も勿論有ったことですが、私は今回の選挙を見る時、まさに鬱積していて蓄積された戦後の、いや、明治維新以来の変革を求める内なるマグマが沸騰し、一票に繋がったとしか考えられません。国民が自らの意志で起こした維新であり、無血革命ではなかったか、と思います。
さて、私が住んでいる岩泉町は過疎の苦しみから抜け出せず、昭和35年頃から始まった人口減少傾向は未だ収まることなく続いている代表的な町であります。過疎対策事業として社会基盤整備に係る多くの事業を進めて参りました。そのことから、道路、港、学校等々かなり改善されてはおります。それは当地方においては明治の大変革に匹敵するくらいの大変革ではありますが、依然として人口の流出、地域経済の衰退という質的な変化は防ぎきれないでいるのが現状であります。食料等の海外依存から国家の基本である一次産業は壊滅の可能性を強くしつつあり、中央が地方の活力を収奪するという構図は強くなるばかりです。
政治も行政もそして地方社会も、それ自体が生き物であり、成長変革するものであると思います。今まさに地方においても変革を求めるマグマは蓄積されつつあります。今回の選挙で国民のマグマの動きを見た政治家は、次に来るであろう地方のマグマをぜひ観て欲しいと願って止みません。