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 都市と農村

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年8月10日

岡山県勝央町長 西田 孝


我が勝央町は岡山県北東部に位置する、人口1万1千人余り、面積54平方キロメートルの小さな農村であります。地形は比較的平坦で、耕地面積が全体の23.5パーセントを占め、古くから農業を基幹産業としてきた町です。
 
昭和50年代になって、中国縦貫自動車道が開通し、大阪まで車で2時間という地の利を生かして、工業団地の造成、企業誘致に力を注ぎました。その結果、今や内陸型では西日本でも屈指の、28社が操業する総面積200ヘクタールの企業団地を有し、工業出荷額も年間1,540億円と、農業の町から工業の町へ変わりつつあります。
地域住民の雇用の場の確保という大義のもとに、その目的が徐々に達成される一方、周辺部の農業が衰退するという減少が見られる中、なんとか農産物の特産品育成にも力を注ぎたいと考えています。勝央町は、桃、ぶどう(ビオーネ)等の果物、また黒大豆の産地としても知られております。
農業と工業の両立、それが我が町の今後の課題だと思っております。 我が国の地形、社会構造、工業立国という現実の前に、農業部門がどこまで頑張れるか、疑問ではございますが、食料自給率の向上、食の安全はもとより、自然環境の面からも、農業を軽んじるべきではないと思います。また、農村に位置する我々自治体の義務として、農耕地や林野の荒廃をいかにして防ぐかということについては、ひとり小さな自治体が、あがき、もがいても、その効果のほどは計り知れていると思われます。 少子高齢社会が進む今日、国において抜本的な方策を打ち出していただかぬ限り、農村は衰退の一途を辿り、ひいては国土全体の荒廃につながり、取り返しのつかぬことになると思います。
 
農村に住む我々としても、農村のみを優遇して、甘やかされることを願っているわけではございません。農村は農村として、自立した行政・生活が営めるよう、最大限の努力を怠るものではございませんが、世の中の構造、地理地形等から、その努力にも限界があるのも事実です。世の中がグローバル化すればするほど、水が高い所から低い所に流れるように、発展するところと衰退するところの格差は益々拡がっているのが現実です。 
国会議員の先生といえども、人の子であり、票の多い都市部へ目が向くのもやむ無きことと思いますが、たとえ無人の島といえども、国土は守らねばならぬのが道理であります。
今の選挙制度、議員の定数について、一票の重みだ、格差だ、違憲だと騒ぐより、その選挙区の面積が勘案されるとか、過去何回かの投票率も定数に加味されるとかの制度改正は成されないものかとも思います。 もちろん政治は究極的には人の為にあるのだから、人口を基準にするのが基本だと思いますが、ただそれだけではないと思います。
人と物の集積が都市部に集中することの弊害もあります。将来、大都市部が行き詰まる時が来ると思っておりますが、その時になって、農村(ふる里)に目を向けて、祖先の墓のある田舎へ帰ろうと思った時、自 分のふる里であるはずの田舎が、もはや人の住める状態ではなく、荒廃した田畑、山林は野生の動物の住みかとなっているとするならば、「悲しいことだ」だけでは済まされぬと思います。
都市と農村とが、相互理解のもとに、協力支援するべきだと思います。と言うよりも早急に手を打つ時が来ていると思います。
 
  雑草の実のように芽ばえた
  蛙の子のようにとびはねた
  作北の山河に絶景はないが
  わしらの幼い魂のブランコとしては
  十分だった
 
これは我が町出身の文学者、木村毅氏の詩でありますが、何物にも代え難い幼い頃の想い出と懐かしいふる里を偲び、詠ったものなのであります。