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 日本列島の中心から一言

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年5月18日

日本列島の中心から一言

長野県辰野町長 矢ヶ崎 克彦

「ホタル」による町おこし

♪山は王城、流れは天竜、間がホタルの松尾峡・・・♪
で始まる島倉千代子先生が唄うホタル小唄に象徴されるようにホタルの里づくりに町を挙げて取り組んでいるのが信州辰野町であります。

諏訪湖を源に下る天竜川の最初のほとりにあたる「ほたる童謡公園」には毎年20万人の観蛍客の皆さんに訪れていただき、東日本随一のホタルの名所として観光の目玉でもあります。ほたる火の幻想的な美しさは日本人のふるさとの原風景であり、町の貴重な財産として「げんじ蛍」は町の特別シンボルとなっています。今年も6月に開催する第61回の「ほたる祭り」に向けての準備が始まりました。地球環境の保全が世界的なテーマとなっている今日、自然と共生し生活環境を守るまちづくりを進めています。

交通の利便性を軸とした企業誘致

さて当町は日本列島のほぼ中心に位置し、南北に走る中央アルプスと南アルプスの両北端に囲まれ、その間(あわい)を天竜川が南下する風光明媚な環境にあり、古来から松本地方、諏訪地方、伊那地方の三方へ通ずる交通の要衝として栄えてきた地域でもあります。それ故に町の領域も戦国、江戸、明治時代を通じ分離合併が繰り返され、昭和30年に現在の辰野町として新町発足となったわけです。同じ生活圏が分断された名残として、隣市との組合立の2つの小中学校や病院を運営していることも、自治体としては珍しいのではないかと思います。

人口は2万2千人を擁し「人も町も自然も輝くまちづくり」を進めてきました。産業面においては諏訪圏域における製糸業の隆盛期から精密工業への転進と同調し、一時は製造品出荷額2千億円を越えるところまで成長してきました。東京、中京の首都圏を結ぶ、ほぼ中間に位置する地の利と中央高速道や鉄道を活かした企業誘致を進めていきたいと思います。

また、産業界と言えば故郷を離れ偉業を成し遂げた方も多く輩出しています。今年は横浜開港150年ということで盛り上がり、博覧会を中心に多彩なイベントが計画されていますが、この横浜港の開港に大きく貢献した「小野光賢・光景」(安政から大正初期)父子は我が辰野町の出身です。横浜に出て横浜町の副市長となった光賢の跡を継いだ光景は、貿易を進めるためには教育にありと福沢諭吉を招聘し、現在の横浜商業高等学校(Y高)の前身を創設、横浜正金銀行(現三菱東京UFJ銀行)の創設・頭取を務め、横浜商法(工)会議所の会頭に就いた際には横浜埠頭の築堤、貿易商組合の公的化、協働倉庫・取引所の設置等の構想を提唱し横浜港築港の礎を築いた方でありました。そんな先人の志を継ぎ都市と地方との交流が始まりました。以前よりIHI(石川島回転機械(株))も両市町に存在し、民間・行政に加え企業段階でも密度の濃い交流に発展することを期待するところです。


地方の公立病院を死守

当町には大正8年と昭和26年に開設された2つの公立病院を擁し、特に一施設は130床の総合病院として地域医療の役目を担ってきました。耐震化も含め改築の時期を迎えたことと相俟って、国の医療制度改革が進められた事により、医師の確保が困難となり、診療科目の見直し、縮小、改築計画の見直しを余儀なくされました。また、診療報酬の改定は運営面においても大きな打撃となり、財政力の小さい町村にあっては改革プランの名の下、事業計画の見直しも迫られることとなっています。しかし、少子高齢化の時代を迎え、保健、福祉、医療の効率的連携が喫緊の課題であることを憂い、地方を疲弊させないための制度実現に力を注ぎたいと思います。「蛍火を以て須弥を焼く」の気概を持ち、国の医療制度改善に向けての働きかけを強め、地方における地域医療を死守する決意を今年度の始めにあたり新たにしたところであります。