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 新しい町・与謝野町と私の歩んできた道

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年3月10日

新しい町・与謝野町と私の歩んできた道

京都府与謝野町長  太田 貴美


平成18年3月1日に、旧加悦・岩滝・野田川の3町が合併し、新しく与謝野町が誕生しました。 

与謝野町は大江山連峰をはじめとする山並みに抱かれ、野田川流域には肥沃な平野が広がり、天橋立を望む阿蘇海へ続くという豊かな自然と歴史・文化を培ってきた地域です。与謝野町の名もこの地にゆかりのある与謝蕪村や与謝野鉄幹・晶子ら文人たちの名にちなんだものです。

思いかえすと、今から約40年程前に結婚をし、夫の郷里である旧野田川町に移り住んだ頃は、この地域の産業の「丹後ちりめん」のまだ華やかな時で、回りの家々からは機音が聞こえてきました。しかし、朝早くから夜遅くまで機を織る女性の生活環境は劣悪でした。丁度、「国際婦人年」の昭和50年、28歳の時に、野田川町議に立候補。代議士であった義父の太田典礼の「女性であっても社会的な仕事を持つべきだ」という言葉の後押しや、町を活性化させるのは、「若者、よそ者、バカ者」の言葉とおり、「女性や若者の声を町政に」と訴え議員に成らせていただいたのが政治の道に入ったきっかけでした。

途中一期休んで議員として通算4期。議長在職中、町の財政が破綻しかけていた平成6年12月の野田川町長選に現職の町長に対抗し、何の支持母体もない中、元議員の方々の支持や、女性の方たちの「お勝手連」のパワーで、僅差でしたが町長に就任することになりました。町長任期3期目の途中、平成12年3月に今度は合併問題が持ち上がり、当初近隣の宮津市・加悦町・岩滝町・伊根町・野田川町の一市四町での合併協議が始まりましたが、まちづくりに対する考え方の違いがあり、信頼関係を築くことが出来ないと判断し平成16年2月に解散を要求。その後新しい枠組みでの協議を呼びかけ、平成17年2月野田川流域の加悦町・岩滝町・野田川町の三町で協議会を立ち上げ、翌年の3月1日に合併ということになりました。 

4月に行われた町長選挙で有権者の過半数以上の得票を得て初代町長に就任しました。

大変な難産の中から生まれた新しい町で、合併をしても、財政的には苦しく、問題も山積していますが、町長選のマニフェストで示した私の考え方の根底は、私が町議会議員として地方自治に取り組んだ時の姿勢と全くかわりません。

今までの私を支えてきた政治姿勢は、性別、年齢、生まれ育ちに拘わらず、一党一派に偏らない、公平で公正で住民の思いや声を大切にすることです。

新しい町の町長の一番の仕事は、旧町が歩んできた長い歴史、文化、個性、コミュニティなど、それぞれの違いや特徴を大切にしながら、住民の一体感の醸成と融和を図ることです。

町長に就任後、すぐに取り組んだことは、24の自治区での町政懇談会を開催し、直接住民の方と膝を交え、耳を傾け、町の考え方を知っていただくことから始めました。

一年目には町の花「ひまわり」町の木「椿」、そして英語版もある「町歌」を町民の手づくりで策定。昨年は、旧町のイベントを垣根を越えての取り組みや、「総合計画」や「行政改革大綱」「町民憲章」など町民の皆さんの多大な協力を得て計画作り、組織づくりが出来ました。いよいよ今年は「水・緑・空 笑顔かがやく ふれあいの町」を目指し、具体的に進めていくスタートの年となります。

福祉・教育・環境など、住民や地域の力をかりながら、お互いの知恵と工夫で、ハードよりソフトを大事にしたまちづくりをと考えています。そして、一人ひとりが活き活きと輝き、合併してよかったと思える与謝野町を目指し、「チャレンジ」の気持ちを忘れず、力一杯歩んでいきたいと思っています。