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 日々新たなり

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年11月26日

徳島県町村会・海陽町長  五軒家 憲次


悪餓鬼であった頃、「人生50年だ、しっかりせよ」と叱咤されたのが、光陰矢のごとし、来年は人生70才、古来希な年である。井の中の蛙大海を知らずの役場人生、少々の会者常離を繰り返す中で、偶には「東大卒」の方と一献、酒の力で自分も「灯台」を出たり入ったり、また島根大卒の人は「島大卒」だと酒の肴になる日本語、面白くもあり魔物である。職場もしかり、真っすぐもいれば、風見鶏も、人生いろいろである。
自分は信者ではないが、般若心経は何故か40才より机に敷き黙読、本文わずか262文字、いまだに全然分からない。自己流解釈はすべて「空」ならば、生ある時は汗をかき、無(空)の頭をしぼれと説いていると…生涯現役、老後は無縁なのか。いやいや心身とも下り坂、辛うじて意地と角だけで見栄を張っているのが、正直なところである。 
「外に一歩出れば7人の敵がおると思う心構えを」との言葉が、いつしか心得の一つとなった。自分で決める出処進退も一つであるが、合併の渦に振り回され、苦渋の選択で棘の道を選んだ。合併はしたけれど主目的である経費の削減をなし、生き残れるか。評論屋曰く、「悪い者同士が結ばれて良くなるはずがない」と。後遺症なのか、苦悩する対議会、弊害である「心、係数、旧三町」の行政の取り組みの打破は遅々として進まない。
唯今合併によって良かった事は無に近い。敢えて言うならば、元町長に三顧の礼、いやいや無理やり友情のみで配偶者になってくれた事ぐらいか。切歯扼腕の連続であるが、無から出発した自分、凡人故に凡人の可能性を求めて、目標は大きく「天上天下、唯我独尊」を信条に「覆水盆に帰らず」で、引き返しは出来ないので、たとえ刀折れ矢つきようとも戦うのみ。日々新なりだ。どこかの掛け軸に“宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える”とあった。
自分が物心ついた年代は終戦前後のドサクサの時で、食べたくても食えず、金もない。母と姉、兄二人と祖父の6人家族。父は2才の時に急病死、母子家庭の悲哀は身に刻まれている。雨の日、親たちが小学校へ蓑、傘を持って迎えに来る、それを横目に裸足で走って帰る、家に迎えてくれるのは猫である。飽食時代の今の猫とは全然違う飢餓時代、猫も生きるために狩りをし、槙垣の小路で狙うのはツバメ、低空飛行しているところを襲撃する。何日何回も失敗したであろうが、見事に捕らえ口にしての凱旋、今なら猫を怒るだろう。猫の知恵と瞬発力に驚き、強烈な印象となった。
昭和21年12月21日、南海域地震による津波がおきた。揺れに揺れる最中、姉が門(カド)にムシロを敷き、布団を被り夜明けを待つ。口伝えに旧浅川村が津波で全滅と、日が昇り浅川が見える高台まで行くと、大小の船が人家の中、道・橋なし壊滅状態。自然の脅威のすごさを目前に見る。幼少の頃、これ以上は恥の上塗り故自重する。
自分としては本意でなかったが、ある事情により川の流れに身をまかせ町にお世話になった。滅私奉公の四文字に縛られ、窮屈が身に染まりながら、次第に「母子家庭」、「猫」、「津波」が頭を過ぎる。特に命に直結する地震津波であった。約30年津波対策を盤石にすべく、ハード、ソフトの両面から進めてきた。唯今も進行中である。「備えてなお憂う」が自然災害に対する行政の基本と考えている。10月1日から気象庁より緊急地震速報の提供が始まったが、地震発生の時期、場所、規模の三要素を特定する直前予知は現段階では不可能?時間と場所を選ばない自然の敵に対するシナリオはない。住民一人ひとりの、いつくるかわからない敵に対する自衛意識と用意周到なる備えが被害を最小限に食い止める「決め手」であり、自分(行政)は発生から秒、分の戦いが減災の分岐点であり、臨機応変に即決せねばならないと肝に銘じている。結果より経過重視である。危機管理の要諦は、「自助、互助、公助」の連携を目指し、積み重ねる事である。
過日、青森にて津軽三味線を聞く機会を得た。年配の女性が和服姿で不動にて奏でる姿勢に、品位を痛感し、感銘した。剣道を志す者は品位と品格を厳しく求められる。我が町の先人が創造した海部刀(かいふとう)、剛さ、優しさ、爽やかさ、侘び寂び、華やかさが一筋の刀身に秘められている。第22回国民文化祭において、「阿波海部刀の世界」をテーマに本町博物館にて公開している海部刀のごとく品位と品格のある町へ、絆を強めたいものである。 
唯一の望みは一度でいいから自分を褒めてやりたい。そしてお迎えがきた時には自分の一生はまあまあやったと思えるような一生を。