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 「がまだしもん」とともに

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年10月1日

「がまだしもん」とともに

福岡県立花町長 田中 礼助


「がまだしもん」。この言葉がわたしの住む福岡県八女地方の方言で「働き者」を意味し、身近にいる人に対し、尊敬と親愛の念をもって形容するときに使われているようです。わたしたちの地域の特性を映す言葉のように感じられ、愛着をもっています。文献によると、古くからわたしたちの地域の人々は、律儀もん、勤勉、質素倹約、鈍重といった特性を持つと記してあります。

律儀もんとは義理固く人に信を集めて重用されること、勤勉とは豊かな暮らしを夢見て耕地を拡げる努力をしてきたこと、質素倹約は幕藩時代から領地が狭く家臣を多く抱えた旧立花藩の藩風であったこと、鈍重は自立性・自主的な精神に欠けるといったことにあると考えられています。

これらの論評は、まさに現代のわたしたち立花町の町民性にもあてはまるようです。先人たちは、町のほぼ全域を占める山麓の傾斜地に向き合い、黙々と段々畑を築き上げ、温州ミカンを栽培し一流産地を形成してきました。戦後日本が高度経済成長につきすすんだ時代背景と国の果樹農業振興特別措置法などの農業政策に後押しされ、ピーク時には3,000haもの栽培面積を誇りました。しかしながら、輸入農産物と消費者嗜好の変化の波にさらされ、減反政策を余儀なくされた結果、現在は約800haを高齢化した農家が必死になって生産を続けています。

若い後継者たちが都市部へ出て行き、地域社会の維持も難しくなっている状況のなかで黙々と生産を続ける年老いた「がまだしもん」が地域を支えています。

「がまだしもん」は進取の気性に乏しいゆえに、政治の支持のまま、ただ愚直に額に汗し土にまみれ、つつましく、来る収穫の喜びきたと今以上の明日が来ることを希望にひたすら励み続けてきました。バブル経済の恩恵など縁がなかった地方の農村地域には、バブル崩壊の後、国家財政の立て直し、地方分権論議などを受け、次々と繰り出されるさまざまな改革の激流に洗われて疲弊しきっています。景気回復が順調にすすむ都市部との生活格差が拡がり、「格差社会」といった問題として、さきの参議院選挙の論点とされたことはみなさんの記憶に新しいことです。

効率化が困難な地方の農村地域にあっては、自分たちの持つ知恵を出しあい、人の思いが詰まっている農業を守る必要があります。立花町においても、地元特産物を販売する「道の駅たちばな」の盛況さなど、ひとつの手がかりを掴みつつあります。国の政策がどう変わろうと、地方の持つ自然は食料と水と空気を国民に供給し、国土を守り続けていく大きな役目があります。「がまだしもん」たちがその役目を果たしながら、安心して暮らし生きがいを持って人生を全とうできるような社会をそれぞれ地域で紡ぐことが、私達に課せられた使命だと考えます。私はその道標を示せればと日々の勤しみに励んでいます。

立花町白木の出身で、戦前、国政の場で活躍された大内賜三先生は、つねづね「風呂水の哲学」を唱えておられました。これは「風呂の中でお湯を自分の方に取り込むと、お湯は一瞬こちらに来るようだが、自分の体に当たってみな向こうに流れていってしまう。反対に向こう側に押せば、向こうに行くようでも向こう側にぶつかってこちらに流れ返ってくる。これが天地自然の理法だ。そして水を向こうに押しやることができるのは人間だけで、それが仁であり、儀なのだ。」といった人間の生き方、政治のあり方、利害関係の調整のあり方に対する考え方です。我が国の人々がこのような考えにたち、勝ち組負け組という言葉が無くなり、都会も地方も、強者も弱者も心豊かに暮らせる国であって欲しいものです。

わたしは、今日も、一地方で地域社会を後世に引き継ぐため、「がまだしもん」たちと明日のまちづくりに取り組んでいます。