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 ふるさとに会える町 なかのじょう

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年6月25日

ふるさとに会える町 なかのじょう

群馬県中之条町長  入内島 道隆


40才で町長に初当選し、すぐさま4町村の法定協会長にされ合併を進める中で「合併して村にしましょう」と発言したところ、「何アホなこと言っているのか」と言う雰囲気の中で「市」を支持する人が大半でした。

この群馬の山間部でさえ市を目指して金太郎飴の出来損ないになるのが良いのかと不思議に思うと同時に、地域にあった村の良さをアピールしていくのが得策ではないと考える、地域特性を無視した一般感覚に失望もした。

結局この法定協は破綻し、2つが合併、2つが自立、4が3になった。

都市対地方の構図ができあがりつつあるが、これは悲しい限りだと思う。都会で働いていても、田舎の両親のことをいつも想っている。両親は、盆暮れに子や孫が帰ってくるのを一日千秋の思いで待つ。これが都市と地方の本来の関係であったはず。だから日本人は心優しくなれたのだと思う。いまや、こんな関係が残る地方は急速に失われつつあり、本当に残念でならない。寂しく一人で暮らす老人を間近に見ていると、戦後日本は豊かになったが、幸せにはなっていないと強く感じる。このおばあちゃんはどんな想いで夜を迎えるのだろうか?

はしゃぐ大勢の子どもを叱りながら寝かせ付けた50年前を想い出して、ひとり寂しく布団に入るのだろうか?もしそうだとしたら、あまりにも悲しい。目を細めて孫の顔を見ながらコタツに入っている自分を想像していたはずだ。いま私たちが目指すべき社会は、たとえ貧しくともかつての日本ではないかと感じるのです。 

昨年度、50才の職員が早期退職し、「人生をもう一度」とタイへ移住した。彼は「タイには日本にない元気がある」とも言っていた。なぜ日本に元気がないのか?よく分からないが、いつの間にか日本人は、「背骨」を失ってしまったような気がする。「背骨」とは人になんと言われようと譲れないもの、決して曲げられないもの、極端な言い方をすれば命と引き替えでも通さなければならないもの、そういったものをかつての日本人は持っていたと思う。だから、日本は唯一西欧列強に植民地にされなかった有色人種であり、白色人種に有色人種が負けないことを世界に示せたのだと思う。こんなことを言うと若いくせに古くさいと言われそうだが、歴史はその時代背景を知らないと正しい理解はできないし、過去の出来事を現在の物差しで考えてみたところで始まらない。とにかく、日本人は外国人をうならせるだけのものを持っていたはずだ。

しかし、それが今はない。特に政治にない、と感じる。三位一体の改革は日本を壊してしまった。小泉さんのキャラクターが求心力の強いものであっただけになおさらだ。地方交付税の削減は周知の事実だが、社会保障費の削減の仕方も気に入らない。医療保険の行き詰まりを介護保険に求めたまでは良かったが、介護保険の行き詰まりを包括支援センターで「特定高齢者」に筋力トレーニングとなると、これはもはや屋上屋を架す政策でしかない。つまり、高齢者の幸福という視点は消え、経費削減のためだけの政策になっている感がある。若者でさえ、筋トレなどしない。国として高齢者を守るという優しさが伝わらない。今や新臨床研修制度の影響で医師が地方から消えつつあり、格差社会どころの話ではなくなっている。年次改革要望書通りの施策の展開こそが「背骨」のなさの証明ではないだろうか。

わが町の高齢化率は29%にもなり、今後もこの上昇傾向は変わらず、近い将来50%になると思う。しかし、これは肯定的に考えるようにしている。お年寄りが多くなれば地域にはゆったりした時間が流れるだろうし、子どもとお年寄りの接点が増えることは、子ども達の心身の成長にとって良いことと思うから。

わが町では、小学生の下校時になると防災無線で子ども達の下校を知らせる案内が流れる。すると老人クラブの方が街角に出て、子ども達の帰宅の安全を見届けてくれる。最近、家に帰った子どもがまた飛び出していくのを見た母親が「どこへ行くの?」と尋ねたところ、「おじいちゃんと続きの話があるから」と老人クラブの方のところへ駆けだして行ったという話を聞いた。きっと、子ども達は大人になってもおじいちゃんやおばあちゃんの優しさを忘れないはずだし、老人を大切に思わないはずがない、と喜ぶと同時にこんなほのぼのした光景が今の日本には欠けていると思うのだ。

だからこそ、わがまちの総合計画基本コンセプトは「ふるさとに会える町 なかのじょう」。人間を取りまく科学技術は進歩しても、幸せを感じる心はそれらと等比的には進歩しないのが人間というものだと思っているからなのです。