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 評論より先ず行動

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年3月12日

評論より先ず行動

新潟県出雲崎町長 小林 則幸


「温故知新」と申しますが、過ぎし年を回顧総括しますと、安倍政権の誕生、東で西でそして南で知事の犯罪が暴かれ、夕張市の財政破綻、戦後最長の景気拡大が続く中で格差社会の勝ち組負け組と格差が歴然とし、子供のいじめ・自殺が相次ぎ、社会に強い衝撃を与えました。さらに地球温暖化が進み常識を超えた異常気象と災害発生に、性根を据えた抜本的な対応が政府に夫々求められております。

また、笛や太鼓の狂騒の中で平成の大合併は進み、新潟県も111市町村が35市町村となり、さらに合併協議を進める市町村を加えると、全国最優等県となろうとしております。果たして合併は吉となるでしょうか。また国と地方の役割を見直す地方分権改革推進法が成立、道州制論議と合わせ第二の改革期を迎える中、政治家、指導者の真価を問われる正念場であろうと心得ております。

斯かる中、自らに課する事は評論家である前に、「命限りに根限り」使命感をもって、「命ある限り精力ある限り」事にあたり、結果責任は自らにあり、と退路を断ち、果敢に行動挑戦すべきであるということです。

平成14年当町においても単独か合併かその枠組みを巡って論議が高まる中、合併に対する自らの考え方を議会や町民各位に明確に伝え、各位のご意見批判を仰ぎ、最大公約数を求め希望のもてる合併を進めることが肝要と決断いたしました。そこで「町村合併に対する私の考え方」と題して、次の7項目にわたり(紙面の都合上、詳細は割愛)率直に私の考え方を示したところであります。

①国が市町村合併を進めることに対する私の受け止め方
②現状認識
③心配されること
④斯かる中で合併をいかに受け止め、どう対処すべきか
⑤結論
⑥その理由
⑦結び
 
その後、地域懇談会、意向調査と数々の手法を重ね、基本的には提示したものを理解いただいた中で合併協議を進め、合併後の新町の名称も「良寛町」と決定いたしました。登山に例えるならば八合目に到達し、頂上を目前に最後のトライを試みる直前、Y町の町長に対するリコール、辞職と混乱、加えて大水害、中越大震災、さらに新町建設計画の大規模事業を巡りそれがマグマとなり鳴動し、これ以上論議を重ね亀裂を深めることを回避し、夫々の町村が新しい歩みを進めることが将来に利するであろうと、合併問題に終止符が打たれました。

身を苛まれるような厳しい試練に遭遇しながらも、貴重な体験教訓をいただきました。

仕切り直しとなった当町は、直ちに17年~21年の5か年間の行財政スリム化プログラムを作成し、町民の理解をいただき自立の道を歩みながら今日にいたっております。財政基盤も安定し、小さな町が大きな挑戦を目指しつつ、少子高齢化が進む中、時代要請に添ったプロジェクトをも順調に進めているところであります。

私も昭和63年、町長に就任馬齢を重ね、20年目を迎えております。顧みますと就任時、45億円余の事業費で進められつつあった観光拠点施設計画を白紙に戻し、その後身の丈にあった歴史文化自然の息衝く出雲崎の情報発信基地として「天領の里」を開設、直営で満13年経過、黒字経営を続けてまいりました。

また、バブル最盛期ゴルフ場を中心としたリゾート開発に350億円投資の民間企業の開発計画が浮上し、大勢は受け入れ容認空気の中で絶対ノーを貫き通しました。また昭和40年代に町が誘致した畜産団地の養豚・養鶏業者が経営危機におち入り、さらに環境汚染が広がり全国各地から産廃業者、種々団体が乱入、住民を巻き込んで大混乱する中、厳しい批判を受けながらも、岩手県に次ぐ二番目となる公共関与の廃棄物処分場「エコパークいずもざき」を苦渋の選択とは言え、建設に成功したことなどが思い出されます。

これら数々の薄氷を踏む思いの中で眠れぬ夜も続く中、ままよ「身を捨ててこそ浮かぶ瀬あり」「正しきによりて滅びるならば滅びてもよし  断じて滅びず」先人の思いを糧として行動し、夫々の局面で、もし判断を誤っていたならと今背筋の寒くなる思いであります。

前途さらに厳しい試練が予想される中、ひるむことなく出雲崎らしさを更に成熟させ、「小さくともキラリと光る町づくり」を目指し、町民共々歩みを進めてまいりたいと思います。政治はその場の評価ではなく時代の流れの中で真の評価が定まることを心とし結果責任に意を用い、日々全力を傾注してまいる所存であります。

終わりに、日経新聞1月連載の「私の履歴書」で江崎玲於奈氏は最後に「過去は記録が残され容易に訪ねられるが未来を訪ね指針を得よ」と述べられておりますが、今の私の最も心すべき言葉と受け止めております。