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 ラオスに学ぶ

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年3月5日

群馬県板倉町長  針ヶ谷 照夫


個人的な話であるが、私は二十年程前から、東南アジアの子供達と、奨学金の提供を通じて交流を続けてきた。最初はタイ国であったが、今はラオスの子供達が対象である。
ラオスは、アジアでもっとも貧しい国の一つといわれているが、私達が交流をしているのは、やや南東に位置しているセーコーン県のパクトンタイという村である。
十年程前、この村には満足な学校がないという話を聞き、仲間の人達と一緒に小学校を建設したのがそのきっかけである。
この村は日本人の感覚で考えると、なるほど貧しい村である。電気もない。水道もない。家は東南アジア特有の高床式の小さな家である。主食は米であるが、何せ自然任せの稲作であるため、収量は極端に少く、一年間家族が食べる量の確保が難しいという。他に僅かな野菜と、川で捕れる魚程度である。水は川から汲んできて使用しているといったほとんど自給自足の生活である。 
それでも村人や子供達の表情に暗さは全くない。逆に学ぶことが多いような気がする。あるときこういうことがあった。
ある若いお母さんが私のところにきて、今度のラオス訪問には是非小学生の娘を連れていってほしいというのである。理由を聞くと登校拒否の娘さんだという。現地に行ったとき、それとなく見ていたらこの娘さん、教室に入り、村の子供達と一つの机、一冊の教科書を四人で囲んで勉強をしていた。また授業が終わると外に出て一緒になって楽しそうに遊んでいた。
後日のことであるが、この娘さんの母親がやってきて、帰国したら学校へ行くようになったという。ようするに登校拒否がなくなったのである。
この話を聞いたとき、どう受止めてよいのか戸惑ったが、この娘さんにとっては実に大切なものを学んだ訪問になったということである。同時にこの村は、貧しいからと一口に言えない何かを持っているような気がする。
またこの村で真夜中に見た星空は見事であった。ダイヤモンドを散りばめたような、何か神秘さを感じさせるような、そして宇宙の広さを思わせるような感動的な星空であった。
ラオスに行っていつも思うことは、かつての日本にもこんな時代があったんだなあと、懐しさを覚えることである。
私の愛読書の一つに長塚節の『土』という本がある。明治の末のころの農村を描いたものである。小作農と言われた当時の農民の貧しさは実に悲惨で、夏目漱石は「土の中にうごめくうじ虫のようだ。」と評している。当時の農民はどんなにか貧しさから脱して、少しでも豊かになりたいと願ったことであろう。
『土』の世界やラオスの生活を考えると、現在の私共は少くとも物の豊かさには感謝しなければならないのかも知れない。
しかし一方において『土』の中では、皆んなで協力し合って生きていく、といった素晴らしい地域社会があった。また自然というものはこんなに見事なものであったのかという描写が随所に出てくる。しかし現在、こうした世界は急速に失われつつある状況で、何んとも残念でならない。 
昨年は藤原正彦先生の『国家の品格』が話題になったが、その中でも指摘されているように、かつて国際的に高い評価を受けた我が国の伝統的な文化や、自然景観は、何んとしてもしっかり守っていかなければと思う。スモールイズ・ビュティフルを書いたシューマッハは、「最大の教師とは自然的景勝地と歴史的遺産である」とも言っている。
ただこれまでこれら大切なものを必死に守ってきた地方の農山村を有する地方自治体は今財政が苦しく、それどころではないといった状況である。
この際、国は国家百年の大計という観点から、今我が国で本当に大切なものは何か、何を残して後世に引き継いでいくべきか、しっかり認識していただき、地方交付税等を通して、地方、特に農村の支援をしていただきたいものである。
同時に私共町村も、もう一度眠っている大切な資源を掘り起こし、都市との交流や、町村の組織を通して、多くの国民にその重要性を訴えていくことが必要なときではないか、そんなことを考えている昨今である。