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 テニスコートに学びながら

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年2月5日

テニスコートに学びながら

千葉県町村会長・白子町長  林 和雄


白子町は400面近いテニスコートが一地区に集約された首都圏一のテニスのまちです。

5,000人近い収容力の宿泊施設に隣接しているという便利さもあり、春先の大学生の合宿から始まり、小学生から社会人まで、トレーニングや各種の大会が年間を通して開催されま す。 

毎年、8月に開催される中学生を中心とした全日本ジュニアソフトテニス選手権のように、 5,000人を超す選手に指導者や保護者で、町の人口の半分近い人数が一同に集まる大規模な大会もあり、開会式は見事なものです。

『テニスのまち しらこ』の始まりは、昭和50年ごろからの高度経済成長期に高まったレジャーの大衆化によるものです。雄大な眺望の太平洋、九十九里浜に面した我が町は、首都圏から50㎞圏という立地を生かし、5か所の海水浴場を開設し、40万人を超す海水浴客を誘致しました。海岸線の地区では多くの民宿が軒を並べ、宿泊客の受け入れを積極的に行いました。

中には旅館に近い専用施設まで建設してお客さんの受け入れをしたものの、海水浴は夏季だけのため、産業としては極めて効率が悪く、しかも気候に左右される不安定なものでした。

そこで、有志数人で模索したのが通年型観光の開拓でした。

気候は温暖でほとんど積雪がありません。地形は平坦で近くには広い休閑農地があり、首都圏からも比較的近いなどの立地条件は整っていました。また、時代背景はスポーツ健康志向の強まりと重なり、編み出されたのがテニスコートの建設でした。

この戦略は見事に的中しました。

学生や企業のテニス部が大勢押し寄せるようになり、19面で始まったテニスコートは、10年近くで400面にまで増設されました。

宿泊施設も木造の民宿から鉄筋コンクリートの高層建築に次々建て替えられ、収容力も増大しました。大会もグレードアップされ、関東、東日本、全日本などの冠がつくものも多く、年中行事として年間20程の大会が定着するようになりました。

誇れることはコートの数や大会の参加者数だけではありません。

ここまでの大きな事業への研究、企画、挑戦のすべてを民間活力が自力でやり遂げたことです。先人たちの発想とエネルギーにあらためて頭の下がる思いです。

しかし、その後は順風ばかりではありませんでした。テニスブームも下火になり、景気低迷やスポーツの多様化、他地区でのコート新設などの逆風や難問が押し寄せて来ました。難関を切り抜けるのも挑戦のひとつ。時にはテニスコートを活用してのゲートボール大会、ニーズに合わせたサッカー場の開設、最近では高齢化社会に呼応して、グランドゴルフの公認コートも七か所に建設されています。 

しかし、なんといっても主流はテニス。30年の歴史を重ねて習得した大会運営のノウハウなどが高く評価され、県内での主要な大会、特にソフトテニスでは「会場は白子」がかなりの数を占めるようになりました。

町も民間パワーと連携を強めての取り組みをすすめています。近年では、平成十七年のインターハイで町を挙げての取り組みが成功を収め、平成二十二年の国体の会場地にも決定しています。 

子どもたちのスポーツ拠点づくり事業でも、総務省、文部科学省から認められ、小学生ソフトテニスのメッカとして昨年から今後十年間、全国小学生大会が、毎年春休みに開かれるようになったことも嬉しい限りです。

全国一のテニスのまちとしての評価を、より高めていくことへの自信にもなっています。 

昨今、とかく行政の役割や責任が言われますが、自助努力で作り上げた産地産業、地域や自治体ほど、強くへこたれないものはないと常にテニスコートから学びながら、また多くの人たちやいろいろな地域の方々との交流を通して、地方のより個性あるまちづくりに邁進したいと思います。