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 町長四期十六年を振り返って思うこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年1月8日

町長四期十六年を振り返って思うこと

愛知県美浜町長  齋藤 宏一


4期16年間、勤めさせて頂いた町長職もあと数ヶ月となり、様々な思いが過る(よぎる)日々であります。先ず4期16年間も勤めさせて頂けたことへの感謝の思いで一杯です。そして私の歩いた67年間の人生の中で、此の16年間は、私の全てを打ち込んだ日々でもありました。それだけに多くの得難いものを得ることが出来ました。

「町づくりは人づくり、人づくりは己れづくりなり」 

首長は家庭で言えば戸主の立場です。対外的には家族の象徴であり顔でなくてはなりま せん。家庭内に在っては常に家族の先頭に立って働き、勉強し、公平で正しく、自らには厳 しくなくてはなりません。しかも家族を守る為には命を懸けても斗う勇気がなくては尊敬され る戸主とは成り得ません。つまり人づくりは己れづくりが第一なのです。

「してみせて言って きかせて、させてみる」の上杉鷹山の言葉の様に自ら率先してやって 見せなくては人は  ついて来ません。率先垂範できて初めて人を動かすことができるのです。自らを律し高め  ることこそ、首長に求められるものであります。

「町長職、是即道場」

町長となって本当に多くの人々と出会いました。そして多くのことを学び生かすことが出来ました。多くの課題とも対峙いたしました。苦しみ、悩み、悲しみ、楽しみ、妬み、中傷、批判等々、この世の全ての縮図の中での16年間でもありました。そうした中であってこそ、多くの生きる智恵を学ばせて頂きました。「艱難辛苦は最善の教師である」、王陽名の教えの通りです。おかげと艱難を楽しむ術も体得出来ました。またすべ時には人を信じられなくなることもあります。そんな時、「人を相手とせず天を相手とせよ、天を相手として己を尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」の西郷南洲の言葉に救われました。人は何時の世で在っても多くの煩悩の中に生かされております。そんな世を幸せに生きる智恵を教えてくれたのが釈迦であり、その修行の1つが禅行であります。禅への関心を深めてくれのも町長職のお陰です。「にちにちの勤めがすべて禅なれば、真の道を求めつつまこと  生く」が私の心といたしました。「政治はすなわち佛法であり、佛法はすなわち政治である」と言われた聖徳太子の言葉を 噛み締めさせて頂きました。

良い町をつくる為にも、良い国をつくる為にも最も大切なことは政治です。その政治を司るのは人であり、正しい人の生き方を広める為に仏教、儒教を我が国にとり入れた太子の心 を思うものです。 

「誠を尽せば天は見すてない」 

私が初めて町長選に立った時、父に寄せ書きの中心に何か書いてほしいとお願いしました。その時、父は暫く考えてから「誠しかないな」と言って「誠」の1字を書いてくれました。この1字の意味が今日になって、やっと判る心境となりました。それは今年4月に春の園遊会のお旨しを戴いた時のことです。私共如きが夢にも思わぬ園遊会へのお旨しを戴けるとは信じられないことでありました。この時、ふと浮かんだのが、父の言葉「誠しかないな」でした。「そうだ誠一筋で、16年間勤めたことへの天からの御褒美なんだ。」と妻と2人で喜び合ったことでした。

思えばこれまでにも幾度となく奇跡ではないかと思われることに出合いました。そんな時は、何時も天が助けてくれたんだと、天に感謝をし、一層励む力としてまいりました。「誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり」の中庸の教えを心として、これからも残された人生を世の為、人の為に生きたいと思います。