ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 >  心癒されるふるさと 笠置

 心癒されるふるさと 笠置

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年12月18日

京都府笠置町長  中西 巌


笠置町は、「美しい自然と史跡に恵まれた心ふれあう町」をメーンテーマに、施策の実現に向け取り組んでおります。
四方を山に囲まれ、町の中央部を東西に木津川が貫流する我が町笠置は、古代は貴族や豪族の狩猟地として拓け、大化の改新以降は、飛鳥京や平城京を中心に東日本を結ぶ交通路として栄えました。
笠置町には祖先の残された文化遺産、またそれにまつわる歴史がたくさんあります。今日までの間、脈々と培われてきた祖先の足跡をしっかりと踏みしめながら現在に至ったのであります。
笠置の歴史を語る上で欠く事のできない存在として笠置山と木津川があります。この自然のありさまが町の歴史にさまざまな形で影響をもたらしております。
笠置寺が建立されている笠置山は、標高288メートルで全山が花崗岩からなり、奇岩怪石が散在し、天下の景勝地としても名高く、国の史跡名勝地に指定されています。また後醍醐天皇ゆかりの地としても有名です。もう一つ、地理的環境として看過できないのが本町を取り巻く周辺の地域とそれを結ぶ交通網であります。本町の場合、京都府に位置するものの、南境は大和の国 奈良市と隣接し、東は伊賀の国 伊賀市と近接しています。相楽郡から伊賀に通じる交通路は既に平城遷都の頃から拓かれており、都から東国へ抜けるルートとして早くから利用されていました。また、木津川も水上交通の上で重要な役割を果たしたことはいうまでもありません。このような環境をまず念頭に置くことが本町の歴史を考察するうえで大切であると思われます。 
さて、現在の笠置町の現状は、人口は2千人を割り、産業形態は山間地のため第1次産業はわずか5.7%と低く、第2次、第3次産業はあわせて9割を超えています。主に観光が中心をなしており、春の桜、秋の紅葉、関西のカヌーのメッカとしても名高い清流の木津川など、広く親しまれております。近隣地域の木津川左岸では、丘陵地を中心に関西文化学術研究都市の計画的な建設が地域整備と一体的に進められております。近年若年層は便利さを求め町外への流出傾向にあり、本町でも過疎化と同時に高齢化が進行しつつあります。その中で、将来における住民のために限られた資源である土地利用について、自然的、社会的、経済的及び文化的条件に配意して健康で、文化的な生活環境の確保とバランスの取れた発展を図ることを基本理念として進めてまいりました。
今後ますますニーズが高まると予想される高度情報化を考慮して、高速インターネットアクセス整備、自主放送の笠置CATVや防災行政無線等の整備など対応しているところであります。また、温泉施設「いこいの館」との連動により、観光によるまちづくりの相乗効果の増大を図っていく必要があります。 
今、地域活性化の視点を、「定住人口の増加」から「交流人口の増加」に移し、地域の持つ個性を伸ばしながら独自の魅力を創造発信していくことで、まず訪れる人を増やすことが重要と考えます。これが将来には定住人口の増加にもつながるという考え方を方針とし、地域の魅力を作りだす手段としてまちづくりを戦略的に展開していくことが必要であります。行政と住民が一体となって地域の人々が自ら行動を起こすことが課題となっております。
わたしたちの情熱と英知によって住みやすさと利便性の確保に力を注ぎ、自然環境の保全、良好な生活環境の確保、歴史的風土の保全等を的確に進め、防災対策、生活環境の改善、水辺空間、緑地空間、治水治山等の安全確保のために努力してまいりたいと考えます。
心癒されるこのふるさと笠置が、50年後も平和で豊かな郷土の姿であるために、日本の心のふるさとの風景となるように、この山紫水明の笠置を守りさらに発展するよう努めてまいる所存です。