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町財政とニューモとの出合い

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年10月16日

町財政とニューモとの出合い

滋賀県余呉町長 畑野 佐久郎


我が余呉町にとって、今年は町制35周年という記念すべき年にあたります。

常識では、村が町に昇格するのは人口が増加して町制施行となるところですが、我が町は人口が減っているのに町に昇格した町であります。 

昭和29年に昭和の合併により、三村が合併して余呉村として発足、当時の町制の人口規模は1万人以上、ところが昭和45年には人口5千人以上を「町」とする法律改正により、村は競って町に移行したものでした。 

当時の青年達は、村という劣等感から解放され、ある種の優越感を感じたものでした。

その後、列島改造とバブル期を迎え、夢と希望を与えてくれた時代でもありました。

本町においても、昭和55年には北陸自動車道が開通し、丹生ダム調査事務所が開設され、山村開発がいよいよ進み、過疎地域が大きく生まれ変るような気配を感じておりました。  

バブルの絶頂期には、ふるさと創生論が飛び交い使途を制約しない全国一律1億円交付金を受け、地域は大きく活性化するかに思える時代でした。

一昔前には、中山間地域の町村財政は「三割自治」とよく言われたものです。ところが、我が町は県境の特別豪雪地域に指定された人口4千人の山村のため、企業の進出もなく税収わずか3億円の「二割自治」にも満たない現状です。

そんな財政状況の中でも、平成2年に過疎指定を受け、過疎債、辺地債等の有利な町債を起しながら、若者の定着対策や高齢者の福祉対策、義務教育施設の整備等、町の総合計画に沿って各種の施策を進めてまいりました。

しかし、平成13年以来三位一体の改革と称して、年々地方交付税の削減が続く中、税源移譲とセットでといわれてきましたが、税収の伸びはわずか。そのため思い切った行財政改革に取り組み、人件費の削減、公共事業の抑制、経常経費の削減をしながら、行財政運営に努めてまいりましたが、それとて自ずと限界があり、財源の不足分を補ってきた基金も底をついてきて、いよいよ財政破綻が近づいてきたことを痛感しております。

何故このような財政状況になってきたかは、本紙の読者にはお分かりいただけると思いますので割愛させていただきますが、この現状をどう打開するかが私どもに課せられた大きな課題であります。

ここで思い切った財源確保対策を講じなければ、住民の不安を募らせ、過疎化を進行させることとなり、職員の行政意欲まで減退させ、行政の信頼を失墜させるだけでなく、住民福祉の根幹まで揺るがせてしまうことが予測されてまいります。

こうした現状の中で、考えに考え抜いた挙句の果ての構想が、先日来新聞紙上を賑わせているニューモ応募の検討ということになったところであります。

ニューモ応募とは、もう既に全国各地で検討されている町村があるので簡単に説明すると『原子力発電環境整備機構』を略して(NUMO)と呼び、原子力発電所から出る使用済燃料を再処理して最後に残る「高レベル放射性廃棄物」を最終処分する処分地の受入地を全国の自治体に公募されているものです。

私の町は、福井県敦賀市に隣接し、敦賀原発を含む若狭湾の原発銀座と呼ばれる地域に位置しており、昭和50年頃より事故等の危険性を感じながらも、周辺地域交付金の恩恵に浴してきております。 

防災計画の中でも、原子力防災を取り込み、非常時の対応策を立てており、毎年住民の施設見学を行い、安全性の知識習得に当たっております。

その見学の折に公募されていることを知り、それ以来自分なりに研究と検討を続け、昨年10月に議会議員と幹部職員とで、検討の前段の説明を受けたところ、直ちにマスコミに騒がれ、知事からも「水源県である滋賀県には相応しくない」と言われ断念せざるを得ない状況に追い込まれ、検討は中断しておりました。

しかし、その後諦めきれず、青森県六ヶ所村を訪問したり、全国原子力発電所在市町村協議会にも出席して、その必要性と安全性について自分なりに検討を続けて参りました。

その間にも国内いくつかの自治体で応募の検討を始めたところがあるようです。

何故この問題が前に進まないのか。国においては、平成12年に「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(最終処分法)が制定され、「当該廃棄物の最終処分を計画的かつ確実に実施させるために必要な措置を講ずる」との基本方針が定められているのに…

この進まない理由のひとつには、日本人の心底には、広島・長崎に投下された原子爆弾の被爆の恐ろしさが身に染みついたアレルギー感があること。それに加え、マスコミがこうした処理の検討まで罪悪視する報道をされること。国や電力会社が、安全性や必要性と現状を国民にもっと積極的に知らせていないこと。国民が潤沢な電力供給に甘んじて、使用済み燃料や高レベル放射性物質に対して無関心であること、などが考えられます。

 このまま全国の都道府県知事が自分の守備範囲内に持ち込むことや検討することまでも拒否していたら将来どうなるのか。エネルギー資源の乏しい日本で原子力に頼らずに電力の供給がスムーズにできるのか。(現状では1/3が原子力)

 高レベル放射性廃棄物の深地層処分は本当に安全なのか、国民一人ひとりがこの問題について知る義務があると思います。 

 そこで私はあえて近畿の水ガメである琵琶湖の水源地から、まず近畿1,400万人に知らしめるとともに、安全性の可否についても議論を醸し出すために発信し、ひいては本町の財政の維持に役立てたいと願って、検討を再開しようと住民に呼びかけているところであります。

 電力の多くを原子力に頼らざるを得ないわが国において、知事をはじめ全国民が核のゴミ問題から目を背けたままでよいのだろうか。あえて“問題提起”します。