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 災害に思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年10月2日

長野県信州新町長  中村 靖


本年7月の梅雨前線豪雨は、日本各地に大きな災害の爪あとを残しました。とりわけ長野県では、各地で記録的な降水量となり、岡谷市での土石流災害をはじめ中南信地方を中心に甚大な被害が発生しました。
災害で亡くなられた方のご冥福を心からお祈りするとともに、被災された皆様にもお見舞いを申し上げ、早期の復旧をお祈りする次第であります。
信州新町でも豪雨の影響で、1級河川「犀川」が増水、291世帯784人に避難勧告を発令する事態となりましたが、幸い人的被害はなく安堵したところです。しかしながら100か所を超える道路、農地などの被害のほか、一部堤内の浸水による事業所数件の浸水、水道施設・町民グランド・中学校グランドの浸水など、2年前平成16年10月の台風23号災害とほぼ同様の被害が発生してしまいました。
本年4月、私は町長選挙で当選し4期目の町政を担わせていただくこととなりましたが、任期スタートの間もない時期に災害が発生し、住民の生命財産を守る立場として改めてその責任の重さを痛感すると同時に、4期目の厳しい町政運営に緊張感を持ってあたるよう改めて心したところであります。
考えてみると、これまでの3期12年間の任期中、災害との関わりがいかに多かったか今更ながら思い起こされます。初めて町長に就任した平成6年の、記録的な干ばつによる3億円を超える農作物被害に始まり、翌7年には集中豪雨災害に見舞われ、その後も規模の違いはあれ、毎年のように集中豪雨による災害が発生し、その対応にあたってきました。もともと地質が脆弱な当町は、雨による災害は多いのですが、一口に災害といってもその対応はマニュアルのような訳にはいかず、同じような災害でもその都度新たな課題・反省が生まれ、そしてその教訓を次に生かしていく、といった繰り返しであり、危機管理に対する行政としての対応について常に考えさせられてきました。
私は、4期目を目指した選挙では、長野市との合併を公約に掲げ当選させていただきました。3期目の任期中には、近隣2村との合併協議会を設立し、3町村による合併に町の将来を託そうとしたのですが、最終的に合併協議会の解散をせざるを得ない残念な結果となり、その後、町を取りまく様々な条件を熟慮する中、長野市との合併が最善の道と考えるに至ったのであります。
信州新町は長野市から車で30分程の、人口5,600人余りの、山あいの過疎の町ですが、合併してもこれまで育んできたこの地域の個性・特性といったものが、できる限り生かされる地域づくりをすることが大切であると考えています。
その一方で、この地域の防災と合併問題とを考えずにはいられません。信州新町は、災害にまつわる歴史をみても犀川の氾濫による数多くの被災経験の中、特に昭和58年の水害は役場を含め、町中心部がすべて水没し、堤防整備後においては歴史に残る大きな災害となりました。これを機に、犀川の治水恒久対策は被災地区住民と町の悲願となり、今日までの長い間、もちろん私が町長に就任する以前から、町の大きな懸案事項として取り組まれてきました。そして多くの紆余曲折を経て、本年ようやくその対策の最終計画が県から示されるに至りました。 
合併後も地域の個性・特性を生かした地域づくりを進めていくことは当然のことながら、この犀川の防災対策については、私の今任期中に何としてもそれを確実なものにし、この地域の住民が安心して暮らせる町土基盤として引き継ぐことも、私の大きな責務と、改めて強い決意を持ったところであります。
災害のことばかり申し上げましたが、犀川は北アルプスに源を発し、その悠久の流れと、有島生馬命名のダム湖「浪鶴(ろうかく)湖」は、豊かな自然を誇る町の景観の象徴でもあり、大事な自然資源でもあります。 
毎年8月15日に行われ、本年で54回を数えた「浪鶴湖とうろう流しと花火大会」や、景勝「久米路峡」と屋形舟運行といった観光スポット、またカヌー・ラフティングなどの水上スポーツエリアとしても知られています。
犀川がこれからも永遠に人々に親しまれる水辺空間であってほしいと誰もが等しく願っていることは言うまでもありません。