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 奥吉野(奥熊野)上北山

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年9月4日

奥吉野(奥熊野)上北山

奈良県上北山村長 福西 力


奈良県の東南部に位置する上北山村、昭和11年に吉野熊野国立公園として指定された大台ヶ原から西の方向を望むと、吉野から熊野に続く大峯山系の山並みが熊野に向かって延々と続き、更に南の方向にはこの大台山系と大峯山系の間を幻想的な雲海が広がり、この麓には山紫水明の地、我が故郷上北山村がある。

上北山村という村名は明治22年の町村制施行時に設置された村名であるが、神々の宿る熊野三山・熊野地方から見て北の山の方向という事で北山という名がついたそうである。

大台ヶ原や大峯山系に源を発する北山川の清流は、上北山村から下北山村を経て、北山村へ、更には名勝瀞八丁を流れ十津川と合流し熊野川となって熊野の地・黒潮踊る太平洋へと流れている。 

水は当然のことながら上流から下流へ、逆にこの熊野文化は下流から上流へ川を遡ってこの地にも伝わってきたようだ。

言葉のアクセント・家の棟の配置、お正月の門松の飾り方、等々文化風習はここは熊野文化圏なのである。 

ところで本村には2つの大きな山岳観光地がある。

その一つは吉野熊野国立公園の北のシンボル的存在である日本100名山大台ヶ原、かつてはこの山には魔物が住むと言われ、村人がこの山に入ると度々戻って来ない・・・いつの間にか魔物伝説となり魔物の住む山と言われてきた。

果たしてその正体は、科学的に解明すれば台地状の地形と、熊野灘からの湿った空気による雨や霧、うっそうと茂るブナやヒノキの原始の森、迷い込むとどちらから入ったかわからない、この様な大自然の事象が魔物の正体だったのである。

また村人は、大台ヶ原には大きな湖があり、西から風が吹くと東にあふれ、東から風が吹くと西にあふれて麓の村々が水害に遭う、これは台風による水害のたとえだったのかとも思われる。(大正12年9月14日には1日の降水量1,200ミリの記録が残っている。)

明治17年には幕末、蝦夷地等の探検家として有名な松浦武四郎氏が大台ヶ原に入山し、調査を行ってから徐々にこの山の状況も解明され始め、昭和36年7月には大台ヶ原ドライブウェイ(自動車道)が開通し、山上まで車で上れる事となり、この山を訪れる人々も増大し、近年は国道等周辺道路の道路事情も良くなって大阪からでも2時間30分程で山頂駐車場まで到達でき、特に春の新緑、夏の清涼、秋の紅葉と気軽に自然を体感できる条件となった。

一方この山に対して、大峯連山は標高1,000メートルから2,000メートル級の山々がそびえ立ち年間3,000ミリ近くの降水量により独特の森林を形成した山々である。 

平安時代より日本古来の山岳宗教による修験の道として厳しい行場があり平成の現在までこのことが引き継がれ、山上ヶ岳に至っては未だに我が国唯一の女人禁制という厳しい戒律がしかれている。 

この豊かな自然に恵まれた山岳地帯に存在する森や滝、すべての自然を神格化する自然信仰の精神がやがて仏教・道教・陰陽道等の宗教が融合し日本独自の修験道が生まれ、神仏習合の聖地となり吉野と熊野を結ぶ参詣道が形成されている。

この大峯連山の山々の名称も75靡(なびき)と呼ばれる行場があり、特に本村に位置する75番目の靡「笙の窟」はや62日蔵上人や行尊が厳しい修行を行い、歌人西行法師もこの地を訪れ歌を残している。

これら靡(なびき)の中には「阿弥陀ヶ森」「大普賢岳」「八経ヶ岳」「仏生ヶ岳」「釈迦岳」「大日岳」等々仏教に関連した名称が多い。

平成16年7月には我が国で12番目の世界遺産(文化遺産)としてユネスコ世界遺産委員会において、この大峯山脈を縦走する吉野から熊野本宮間における大峯奥駈道が「紀伊山地の霊場と参詣道」として認定を受け、この内当村においては、大普賢岳から孔雀岳までの18.5km本村に関連した道である。

また、奈良県においては法隆寺地域の仏教建造物・古都奈良の文化財に引き続き3ヶ所目の世界遺産となった。

大峯奥駈道は世界遺産の名も手伝ってか、指定以後これらの山を訪れる登山者が多くなっているが、大台ヶ原とは違ったこの山独特の素晴らしい景色を体感する事は出来るが、反面平安の頃よりの厳しい修験の道である事を忘れずにいて欲しい。

吉野熊野国立公園・「日本百名山の大台ヶ原」、「世界遺産の大峯奥駈道」、機会があれば一度は訪れて欲しい山である。