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 心を癒してくれる噂のコーヒー

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年6月12日

福島県飯舘村長  菅野 典雄


「コーヒー、飲みたい」
「じゃ  入れよう」
「はい  コーヒー」
「どうも  ありがとう」
わが家では「コーヒー飲みたい」「どうもありがとう」と言うのが妻であって、「じゃ、入れよう」「はい、コーヒー」という方が、夫である私の役目。
随分以前であるが、テレビのコマーシャルで物議をかもした「わたし作る人、ボク食べる人」の逆をいっているので、全くなんの物議をかもすこともなく、平穏な家庭が、今のところ、ずうと続いている。
厨房に立つことになんの抵抗もない私であるが、腕は三流によって、あくまでも助手の域である。 
ところがコーヒーを入れるのだけは別、私でないと納まらない。
コーヒーと言っても、本格的なコーヒーではなく、たかが、インスタントコーヒーなのだ。インスタントコーヒーだけに、コーヒー、クリーム、砂糖、そしてお湯の量が実に微妙で、私の入れる分量が私たち夫婦の口には一番合っている。
妻が入れてくれるコーヒーは、いまいち何か物足りない味に仕上るし、他の方が入れてくれたコーヒーなどは、相手には大へん失礼だが私たちの口にはぴったりこない。
したがって、どうしてもおいしいコーヒーを飲もうとすれば、私が腰を上げざるを得ない。
そのようなことを二十年近く続けていると、もうすっかり「ボク、入れる人、わたし飲む人」というスタイルが、わが家には、しっかりと出来上ってしまった。
「コーヒー・ブレイク」という言葉があるくらい、くつろぎのひとときにコーヒーは欠かせない。のどの渇きをいやしてくれるだけでなく、心をもいやしてくれるコーヒーなのだ。
その心のいやしが、コーヒーには実に大きいのだということを、とある新聞記事を読んで再確認させられた。
四十五歳の、ある女性の投稿である。
…日曜日の朝、夫に「ねえ、コーヒー入れてくれない」という一言が言いたくともなかなか言い出しにくい。共働きだから  私にとって日曜日は、「休日」というより「家事曜日」。それでも少々ゆっくりした朝食をとり、さて洗濯、掃除にとりかかる前に、コーヒー一杯飲みたくなる。
アイロンがけや買い物など、休日の一日の後半の仕事にとりかかる前に一息ついて、ここで誰かがコーヒーを入れてくれないかな―と、夢みるごとく思ってしまう。 
茶わん洗いや洗濯とかの大きいことまでは望まない。食後にお茶や、ひと休みする時に、コーヒーを入れてもらえる―もうそれだけで、どんなにうれしいことか。私のこの気持ち「ちょっとぐらい察してくれたっていいでしょうに!」と、この間、たかがコーヒー一杯のことで、夫と大ゲンカになってしまいました。それ以来、「されどコーヒー」の気持ちです………。
この記事を読んでから、これがコーヒーの「心をいやす」ことかと、妙に感心することしきり。
それ以来、コーヒーを入れる私の腰は、ますます軽くなるばかり。
30 もうかれこれ三十年以上つれ合った妻であるが、朝早い出がけに、「ねえ、今日はホテルから…」などと意味深のシグナルがおくられることがある。コーヒーがさっと出て、飲みっぱなしで出て行きたい…ということらしい。  コーヒー一杯で、ホテルからの出発気分が味わえるとは、これまた、何と安いコーヒーではないか。
いやいや、「すばらしく高くつくコーヒー」といってよいであろう。
このように「高価につくコーヒー」、世の男性も入れてみては、いかがなものだろうか。
たかがコーヒーされどコーヒーですぞ。