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 家郷唱歌

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年6月5日

家郷愛唱

三重県明和町長 木戸口 眞澄


野を焼いて家郷を出づるこヽろなく    (昭和32年  結婚)

明和町は、伊勢市と松阪市の中間にあり、豊かな田園が広がり、7kmに及ぶ伊勢の海の長汀があり、心優しき人々が「心」と「心」を結びながら、町づくりに励んでいます。

天皇の御杖代として、皇女が伊勢神宮の祭祀に奉仕されておられたのは天武2年(674年)より660年に及び、その宮殿があったと伝承されています。

未婚の皇女が神に仕える故に、恋をすることが叶わず、悲運のイメージが濃く、いたましい感がしますが、竹の都、女性の都らしく、王朝時代の高貴にしてきらびやかな生活も想像されます。

昭和54年3月、「国史跡」の指定を受けて以来、私たちは、町あげて、斎宮跡の保存・整備・活用に努めてきました。文化庁・三重県の適切なご指導とご協力を頂きながら、町づくりの核としてソフト・ハード両面の充実を期してきました。

毎年6月、野花菖蒲の古代紫が風にそよぐ季節に、斎王群行をメインに「斎王まつり」が開催され、王朝絵巻を繰り広げます。県内外から5万人を超す人々がこられます。

篝火に斎王うかぶ祭かな  菖蒲田の畦をわたるも祭人

まぼろしの斎王と逢ふ若菜の野

「明日への飛翔」が私の志向する理念ですが、特に「文化」・「芸術」・「歴史」を尊重しながら、すべての町民が「心豊かな日々」「心寧らぐ日々」に身を置くことのできる状況づくりが肝要であると思っています。

伊勢や松阪に隣接する町です。古来より文人墨客も多く、来訪されて詩歌とりわけ俳句の盛んな地であります。私も町長就任以前から、文化協会を結成し、初代事務局長になりました。俳祖荒木田守武・俳聖松尾芭蕉の誕生の地の三重県は、俳句の原点であり、俳句のメッカであると自負しています。

私も平成4年10月、第一句集「眞澄」を上梓しましたが、年代の順にしたがって作品を書き誌します。

◆十代
先生に叱られている子朝寒し    (昭和20年10才)
コスモスの咲く駅の名は一身田   (昭和24年14才)
水玉をころばせ障子洗ひをり     (昭和25年15才)
汗の人眉をとばして怒りけり      (昭和26年16才)
銀河濃し擦りしマッチの濃紫     (昭和26年16才)

◆二十代
己が身を羽搏ちて芭蕉破れけり   (昭和31年)
北国をわれらは知らずかへる雁   (昭和35年)
これよりは父とし誌す日記買ふ    (昭和35年  長女誕生)
苗代のみどりの上の水一重      (昭和37年)
夜濯ぎの妻の返事の涙聲       (昭和39年)

◆三十代
黒髪は母より濃ゆし月見草       (昭和40年 次女誕生)
掌に重き白桃妻に寸暇なし

◆四十代
齢いま美しきとき雪椿           (昭和56年  長女成人式)
餅搗くや火の美しき伊勢の国      (昭和54年)

◆五十代
玉垣の凍蝶妻の手に移す        (昭和62年)
嫁ぐ娘の詣づ祖の墓草萌ゆる      (昭和63年  長女結婚)
蛍火の透けし胡瓜の葉の家郷      (平成3年)
白牡丹眩しみて立つ花嫁ぞ       (平成4年  次女結婚)
以上までが句集抄出  平成6年町長就任 

◆六十代以降
春寒や左遷人事の辞令書く        (平成8年)
「鷹となれ」と励ます祝辞入学式     (平成8年)
花束を解くごと成人式終る         (平成9年)
天上に神の声して朴咲けり         (平成11年父逝く)
決断のときの淋しさ秋の風        (平成18年)

10才にて、父・金襖子の膝下にあり、長谷川素逝・橋本鶏二・高野素十の諸先生を家に招いて直接ご指導を頂いて60有余年、町長としての激務の中にあっても孜々と句作に励みながら自己研鑽を続けています。