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 町政の原点

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年4月24日

町政の原点

愛媛県 松前町長  白石 勝也


愛媛県松前町は、県都松山市に隣接する二十平方キロほどの町です。山がなく、松山空港から車で十分余り、町内をJRと私鉄の郊外電車が走り、交通の利便性と住環境に恵まれ、人口は三万一千人を超え今も増え続けています。役場庁舎から東には田園地帯が広がり、米、麦、レタス、ネギなど農産物の栽培が盛んな一方、西は瀬戸内海に面し、昔から小魚を加工した珍味の生産は日本一です。また、世界に誇る東レ愛媛工場があり、航空機に欠かせない炭素繊維を主に生産しています。今の松前町は、昭和二十九年に隣の二つの村と合併して誕生し、昨年五十周年を迎えました。今回の平成の大合併では、合併相手との協議が途中で壊れ、単独で生き残ることになり、新しい町づくりの一歩を踏み出したところです。 

私はこの町に生まれ、高校卒業後はふるさとを出て、広島、大阪で浪人生活のあと、学生時代は横浜で過ごしました。そして、NHKの記者として、横浜、東京社会部、山形、松山、静岡、高知と転勤し、最後は松山放送局で定年を迎えました。記者時代は、政治、経済のほか、事件、事故、災害などのニュースを取材しました。そして、平成十一年、私がジャーナリストとして培った知識や経験のすべてをかけて、ふるさとの町長選挙に挑戦して、当選させていただき、今二期目を折り返したところです。町長の仕事は、取材を通して理解しているつもりでしたが、就任してみて、はたから見るのとは大変な違いでした。

ただ、記者時代の正義、公平、誠実といった行動指針は、今も私の政治信条です。

山形時代、出羽三山の一つ月山に登りました。それは、障害者の方がボランティアの人たちの応援で車いすで登山するのに同行取材したときです。岩石のゴロゴロする山道を、みんなで車いすを抱えて登り、見事に山頂に立ったときの障害者の方の汗と笑顔は、今も忘れることはできず、・支え合って生きるという私の福祉行政の原点になっています。

松山時代、時の県知事が特定のマスコミに対して、県政に関わる全ての取材を拒否するという”事件”がありました。これは、一新聞社が時の県政を「ゆすり、たかり」の政治だと報じたことへの知事のいわば報復措置でしたが、権力を持つ側とそれを批判するマスコミの報道姿勢とに様々な問題を投げかけ、私にとっても大きな教訓となりました。

静岡時代には、浜松市内の住民が安全で安心できる生活を守るために命がけで暴力団を地域から追い出す運動を取材し、その経験が今、子どもたちを危険から守るための住民総ぐるみ運動の推進につながっています。

また、東海地震に備える静岡県の取組みや住民の自主防災組織の活動、県あげての防災訓練などの取材体験は今の防災町づくりの中に生かしています。

高知時代、当時NHK社会部の記者だった今の高知県知事が、記者を辞めて知事選挙に立候補し圧勝したときの選挙戦の取材指揮をしました。このとき、これからの選挙は、名ばかりの組織より有権者の心や気持ちをつかむことが大事であることを実感しました。そして、そのことはその後全国各地の様々な選挙で新人が現職を破るという形で実証され、定年後の私の人生の選択に少なからぬ影響を与えました。

このように、ジャーナリストとして積み重ねてきた様々な経験、そこから広がった大勢の人々とのつながりが私の原動力となり、同時に、私が今実践している「見える、分かる、クリーン」な町政の原点になっています。

二十一世紀に入って、やがて発生するであろう大規模地震への備え、ごみ問題に代表される大量消費や環境破壊への取組み等々、地方自治体にとっては待ったなしの課題が山積しています。私は生まれ育ったふるさとの町の未来をより豊かでより住みやすい”ライフタウン”にしようと変わらぬ信念で邁進したいと思っています。