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町と住民が共に育てる身延ブランド

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年2月6日

町と住民が共に育てる身延ブランド

山梨県町村会長 身延町長 依田 光弥
 
新身延町は、「安らぎと活力あるひらかれたまち」を基本理念に平成16年9月13日、これまでの歴史と伝統の上に新たな、そして大きな一歩を踏み出しました。

身延町は、豊かな自然がつくる美しい四季の彩り、誇れる歴史と文化、人と人とのつながり、多くの魅力にあふれております。

鎌倉時代、日蓮聖人によって開かれた、日蓮宗総本山身延山久遠寺、戦国時代に武田信玄が戦の傷を癒したとされる、下部温泉郷、屈指の透明度を誇る神秘的な湖、本栖湖、富士山と南アルプスの名峰が描き出す雄大なパノラマや、滔々と流れる富士川の清流に踊る銀鱗の群、そうした豊かな自然を大切に守りながら、身延の人々は独自の歴史と文化を育んできたのです。この先人たちが育んできた身延町ならではの宝物を活かし、さらに「未来」へとつなげていくことが我々の責務であり、町民ひとしく願うところであります。

平成15年7月、国は観光を軸として経済の活性を図るべく、「観光立国行動計画」を決定
Ⅰ 21世紀の進路「観光立国の浸透」
Ⅱ 日本の魅力、地域の魅力の確立
   ①一地域一観光
   ②良好な景観形成
Ⅲ 日本ブランドの海外への発信
   ①トップセールス(内閣総理大臣による発信)
   ②ビジット・ジャパン・キャンペーン
等々、5つの項目のもと、観光立国に向けての戦略が進められております。

山梨県においても「観光立県」をめざし、「富士の国やまなし」の推進事業が着々と進められ、一昨年日本橋プラザビル一階には、山梨の観光情報・物産の展示即売・交流イベントの開催などを満載した総合情報館、「富士の国やまなし館」がオープンしました。そして、身延町も他産業と連携を強めながら、観光課を中心に町内各観光エリアの代表者や商工会等関係団体を交えて町民参画のまちづくりをすすめておるところであります。

「観光立町」を目指して故郷の姿を描く。
先ず、下部エリア(旧下部町)は、日本名湯百選にも名を連ね、その優れた泉質と情緒豊かな景観が体と心を優しく癒してくれる下部温泉郷、湯煙漂う温泉郷の風情は多くの文人や歌人など、著名人の創作や安らぎの場となってきました。今もなお、温泉街のそこかしこで彼らの足跡に出会うことができます。 

そして神秘が宿る湖と森の本栖湖、千円札に描かれた富士山と本栖湖のスポットとして全国に名を馳せる景勝地です。

次に、中富エリア(旧中富町)は富士川の畔、周囲を緑の山々に囲まれた「西島和紙の里」、戦国時代から守り伝えられた「西島和紙」は、時の国主武田信玄にも賞賛された伝統の技、430年余りの伝統と現代の技、そして自由な発想が融合して、しなやかで強く、優しげで表情豊かな、高い品質を誇る書道半紙や画仙紙などを世に生み出しております。

次に、身延エリア(旧身延町)は日蓮宗総本山として法華経を信仰する人々の心のふるさととして崇敬され、全国から多くの参詣者が訪れる聖地であります。法灯絶えることなく、法華経の根本道場として、実に七百有余年、人々の篤い信仰と祈りによって育まれてきた宗都の年輪が、街の風情となって語りかけてくれます。

また、瓦屋根やなまこ壁、各戸に家紋をかかげ、休日には人力車が繰り出すなど、昔の風情を現在に再現した平成の古都、JR東海身延線、身延駅前しょうにん通りの人たちの熱い思いは、近い将来実現する第2東名自動車道と中央自動車道を結ぶ中部横断自動車道の開通、静岡空港の開港に期待は膨らみます。 

さらに2007年NHKの大河ドラマは、「風林火山」、井上靖の不朽の名作のドラマ化であります。戦国時代の乱世、最強軍団といわれた甲州武田軍、その軍旗は「風林火山」、その領国経営『人は石垣、人は城、情は味方、仇は敵』。

町内それぞれのエリアが連携しながら、そして住民全てが観光の関係者「おらが故郷」を誇りにもち、自慢できる気持ちが観光ブランド「身延」を創っていくのではないかと思いを新たにし、住民と行政協働のまちづくりのなかで「身延ブランド」のクオリティをより一層高めるため、地域の産業振興と地域の活性化を推進して参ります。