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住民と協働で未来あるまちづくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年1月16日

三重県東員町長  佐藤 均


鈴鹿の峰から吹き降ろす風は、時には優しさを感じ、時には肌を刺すような痛みを感じる。自然は人の心の中を全て見据えているようだ。外を眺めるとケヤキが満身の葉を振り落として、その姿が寒々しく感じ、透けた枝の間からは、きりっとした冬空が顔をのぞかせる。
わが町は三重県の北端部に位置し、町の中央を員弁川が悠然と流れる。人口26,000人、面積22.66平方kmの町である。
今から30年前に、山林を開発し住宅開発が行われ、一時は県内きっての人口急増地区でもあった。
のどかで農業を中心としてきた町も新しい住民を迎え活気がみなぎり、団地住民との交流の場として十九年前に「ふれあいフェスティバル」が開催され、そしてその年に町の人口が2万人を突破した。
団地内には、以前農業用水利として使っていた溜池を利用した公園を整備し、この時期人々が陽だまりの中を散歩する姿を眺めると、いつまでも平和で和やかであってほしいと願うものである。
5年前には町の中央に、14ヘクタール余りの公園計画を打ち出し、用地取得に着手した。当時、私は助役としてこの事業に全力で取り組んだ。
公園は、水田を造成し二級河川を園内に導き、水環境と一体的に整備を行うものであったが、住民からは賛否両論で激しく議論があり、議会も建設の是非で激しい議論が交わされた。行政と議会、そして住民との距離がわずかではあるが、遠くなるのを肌で感じたときでもあった。
その公園も昨年完成し、町合併50周年記念に華を添え、私は町長としてそのオープニングのテープをきることができた。この瞬間は胸に込み上げてくるものがあり、公園建設をめぐってのこれまでのことが鮮明に頭の中に描きだされた。
今では、遊具で遊ぶ子どもたちの元気な声が聞こえ、人々がパークゴルフを楽しみ、私も時間を見つけて公園に出かけ、人々が楽しむ様子を見ると造って良かったと改めて感じている。
そして、公園議論の渦がようやく和らぎかけた頃、市町村合併の波が全国に打ち寄せ、わが町もその渦中にあり、近隣の市町との合併について町が大きく揺らいだ。
行政の考える方向、議会の考え方、そして、住民の思いが交差し激しい議論が交わされた。結果的に、これまで何かと協議の上でことを進めてきた近隣市町でわが町だけが合併に至らなかった。
県内でこれまで47あった町が今年1月から15町になった。これまで以上に汗をかかなくてはと肝に銘じている。
地方分権一括法が成立し、地方の自主独立性を高めることが盛り込まれた。それぞれが、その地域の特質を活かし、みんなで考え、みんなでまちづくりの方向を決定し、その結果には自らが責任を持つという自己決定・自己責任の原則が明確化され、地方分権時代がスタートした。
しかし、地方分権の時代に即応した自治体の権限や責務に関することは地方自治法に定められたものの、それだけでは分権時代にふさわしい自治の実現はできない。
実現には、町自身がこれからの時代の新たなルールを築くことが必要となった。 
まず、町の現状や情報を公開して事業や財政見通しを住民に理解していただき、自助・共助・公助のあるべき姿、つまり、個人や家庭でできること、地域などで互いに力を合わせてやるべきこと、町としてやるべきことをみんなで考え実行することにより、住みよいまちづくりを行うことが大切である。
このことに取り掛かるため、一昨年、行財政全般に住民から意見を求めるために検討委員会を設け全てを開示し、行財政改革に関する提言をいただいている。また、昨年には、住民と行政の役割分担について議論をいただくため、町民協働活動会議を設置したところである。ここで議論され、出される提言の数々は、必ずまちづくりに取り組む上で舵取りの役割を果たすことと確信している。
折りしも、急速な人口減少時代がはじまり、例外なくわが町も少子高齢化が目前にある。将来のわが町のあるべき姿を、委員会はじめみなさんで議論いただき、進む地方分権に対応できるわが町の方向性を定め、子育てや教育に十分配慮した施策を展開し、次世代を担う子ども達にこの町の将来と私達の願いを託していきたい