ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 >  半世紀の我が人生、振り返りて今思う

 半世紀の我が人生、振り返りて今思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年11月14日

滋賀県町村会長  豊郷町長  大野 和三郎

  
豊郷町は滋賀県の東部に位置し歴史的に見ると、中山道の高宮宿と愛知川宿のちょうど中間にある街道町です。その中山道を中心に町並は、東西に広がりをみせています。また、華やかで陽気な歌と踊りの「江州音頭」の発祥地として有名な町です。このような歴史溢れる素晴らしい町に、私は昭和30年11月30日、父 善作、母 さな、の五男として大字大町に生まれました。
 
幼少の頃は、体もあまり丈夫でなく、末っ子ということもあって、甘えん坊で人見知りをするほどシャイでありました。そんな幼少時の昭和36年3月、父が豊郷村議会議員選挙に出馬し初当選を果たしました。これが政治との最初の出会いとなるわけですが、そんな家庭環境にありながらも、当時の私は政治には全く関心がなく、また携わる気も毛頭ありませんでした。
  
中学生時代には、手に職をつけて立派な商売人になる夢を抱き、卒業後、大阪、京都、和歌山方面に精肉店の職人の見習いとして5年足らずを過ごしておりましたが、昭和50年の春に、父が滋賀県町村議会議長会の会長に就任し、家業の畜産業を母一人の細腕で経営することが困難となり、その年の秋に家業の手伝いをすることとなりました。
 
そんな中、昭和53年1月に父が急逝し、家業を放り出して県外で商売をすることも叶わなくなり、家業に専念しておりましたが、周囲からの支援や励ましもあって、昭和55年4月に大町区長に就任し、さらに昭和56年3月の豊郷町議会議員選挙では弱冠25歳で初当選させていただきました。当選させていただいた頃は、1期4年だけ全うできれば政治をやめるつもりでおりました。それは、もともと政治を志したのではなく、父の歩んだ17年間に及ぶ事績を辿るといった気持ちが強くあったからであります。
 
そのような私の人生の岐路となったのが、昭和58年秋の豊郷町議会の解散であり、政治か商売かという今後の歩むべき道について熟慮に熟慮を重ね、政治の世界に身を置く決意を固めました。 
爾来、地域住民の皆さんの暖かいご支援のもと5期18年余り議会議員として活動させていただき、この間には、はからずも父が就任した町村議会議長会の会長職も経験させていただき、政治的な視野を大いに広めることができたところであります。
 
この間の貴重な経験と周囲の暖かい励ましを礎に、平成11年11月に行われた町長選挙に初挑戦し、多くの町民の皆様からのご支持とご支援のお陰で当選させていただき、今日に至っておりますが、その道程は平坦なものではありませんでした。
 
それは、全国版の新聞やテレビニュースでも大きく取り上げられましたので、ご記憶の方もおられると思いますが、私が、豊郷小学校の施設整備について、改築するという方針を打ち出したことに対し、平成14年11月頃から現校舎の保存改修を訴える反対住民から、リコール運動が展開され、翌年3月9日にリコールが成立したことであります。
 
リコール成立を受けて開いた記者会見では、マスコミ各社から選挙に出馬されますか、又、豊郷小学校は改修か改築かという質問が相次ぎましたが、私は、小学校は6歳から12歳までの子どもたちが生活する施設であり、今日の教育ニーズに応えられる安全快適で利便性の高い施設を提供することが豊郷の大人としての責任であり、町民の皆様の理解と支持を得られると確信している旨を答え、出直し選挙に出馬し、再選を果たすことができました。
 
政治は、住民福祉の向上を図るために様々な政策を行うことでありますが、最も大切なことは誰が行うのかではなく、何を行うかということであります。従って、教育、福祉、産業などの具体的な政策を町民の皆様に示して、然る後に確実にしっかりと具現化していくことが重要であると思います。 
政治に身を置くものとして、自分に嘘をつかないことが肝要であり、常に肝に銘じて日々精進いたしております。
 
日々多忙な中にあって、自分自身の時間を持つことが困難な状況にありますが、中国の歴史小説や司馬遼太郎の著書を愛読し、健康保持を図るため、可能な限りプールに足を運んでおり、食事では動物性たんぱく質の摂取を控え、生野菜を多く摂ることを心がけております。
 
今年11月30日で50歳を迎えることとなり、これまでの人生を振り返って見ますと、苦しいこと、しんどいことなど多々ありましたが、幾多の災いから難を逃れられたことを考えると、先祖、父母の積み重ねていただいた徳が、私から災いを遠ざけてくれたのではないかという思いを日々強くいたしております。
 
私自身、2男1女の父親であり、公僕であっても、また将来政治の世界から身を引く時がきましても、将来我が子どもたちに災いが降りかからないよう、そうした徳を一つひとつ積み重ねて参りたいと日々念じております。
 
これから何年間公僕としての仕事に携わることになるかわかりませんが、「自分に嘘をつかない、自分の気持ちに正直に生きる」、この姿勢だけは貫き通し、まじめに一所懸命一度だけの人生を完全燃焼したいと思っております。