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 新しい里山文化の創出に向けて

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年10月3日

茨城県阿見町長  川田 弘二


阿見町は東京から50㎞、日本第2の湖「霞ヶ浦」の南岸に位置する首都圏近郊の町です。戦前は、海軍航空隊・予科練の町として全国にその名を知れていました。
ここ20年ほどの間に都市化が急激に進みましたが、地域によっては、自然の緑が豊富に残されています。
阿見町では現在、平成16年度を初年度とする「第5次総合計画」に基づき、“人と自然がつくる楽しいまち・あみ”を目指していますが、そのうちの、人と自然の共生を目指す、“平地林の保全・整備-里山の復元”についての考え方を述べてみたいと思います。
私たちが子供だった頃=戦前から昭和20年代にかけて=は、私たちが住む農村部のまわりには、いつ頃からか里山と呼ばれるようになった、落葉樹を主体とする雑木林がいくらでもあったものです。この里山の周辺では農家の人びとが、大切に田んぼや畑を守っていました。
この里山は、春になると新しい緑の芽を出し、夏は濃い緑に、秋には紅葉、そして落葉と四季折々に変化し、素晴らしい景観を出現させたものです。その周辺の田んぼには、カエル、トンボ、ホタル、メダカ、ドジョウなどさまざまな生き物が棲み、それとのかかわりを持って多くの野鳥や小動物たちが生存していました。
これらの里山は、人間の日常生活と深くかかわり、人間の管理によって維持され、その地域の農業や人びととの生活にとって重要な役割を果たしてきました。 
より具体的に言うと、農業用のたい肥とするために雑木林の下草を刈る、薪や炭として利用するために立ち木の間伐や枝払いをして適度な空間を保つ、などのことが健全な森を保つための管理につながったのです。このような人間の利用と自然の生育力がうまく調和し、長い年月にわたって釣り合いがとれてきたことで、雑木林=里山の自然が形成されてきたといえます。
ところが、昭和30年代の終わりごろから=それは日本の高度経済成長開始の時期と重なります=農村地帯でも、化学肥料の使用が一般化し、燃料も薪や炭から、電気・ガスに代わってきました。雑木林と人びととの生活の緊密な結びつきがなくなってしまいました。このことによって、子どもたちが自然に親しむ絶好な空間だったやさしく豊かな自然が次第になくなったのです。
そして今では、多くの雑木林は殆ど人の手がかけられず、人が入り込めないやぶのような荒れ果てた状態になっています。
このような状態を目の前にして、かつての里山の四季ごとに変化する景観の素晴らしさ、周囲に住む人びとの生活との結びつきや周辺の農地との調和、子どもたちを受け入れた自然の豊かさ…等々を思い起こすとき、そこには正に、人と自然の共生によって形づくられた“里山文化”というべき空間が存在したことを強く感じるのです。
ところで、しばらく前からこれらの里山に限らず森林全般の荒廃現象が大きくとり上げられ、その再生への取り組みが全国各地でなされていることが報じられるようになりました。
私たちの阿見町でも、町域の約20%、1,300haにのぼる平地林 の整備・保全を進めることが政策的な課題になっています。この平地林の整備・保全は地域全体の重要な資源である”霞ヶ浦”の流域管理にもつながるからです。
そして、かつての里山の素晴らしい姿を頭に描きながら、里山への復元を目指していくつかのモデル的な取り組みが始められています。
小池城址公園周囲の町有林(約4ha)、総合運動公園周囲の“ふれあいの森”(約12ha)、 町民の森第一号に指定された“ワッカクルの森”(約1ha))、実穀小地区、君原小地区の学校林(各約1ha)などです。 
これらの地区では、補助事業などを通して行政主体の取り組み、森林クラブなど意欲的なボランティア団体の積極的な関与、周辺地域住民の理解と協力、などさまざまな形での対応が進められています。そして持続的な努力の積み重ねによって、里山の復元は着実に進み、かつての農村の原風景であった里山に近い姿が出現しつつあります。
ところで、かつて人びとと自然の共生の具体的な形として長年にわたって維持されていた“里山文化”の基礎には、前に述べたように、日常的な生活と結びついた多くの人びとの営みがありました。 
現在新たな形で創られようとしている“里山文化”が、これから安定的に維持され、更なる広がりをもっていく為には、かつての“里山文化”を支えた人びとの日々の営みに代わる、新たな人びとの営みを創り出す必要があります。
私としては、この新しい人間の営みを支えるのは、新たな里山を創り出すことに心からの喜びと使命感を覚える人びとの力であり、創り出される新しい自然と接し、そこに入り込むことに深い感動と生き甲斐を見出す人びとの生き方なのだろうと考えます。 
そして、すでに育ちつつある、このような思いを共有する多くのボランティアや地域の関係者などによって、これらの新しい人間の営みが、持続的に支えられ、発展していくことを心から願います。 
ただ、現実的には、これらの新しい人間の営みを保証するものとして、”緑の基金”などによる必要経費の確保、山林所有者の協力体制の確立、NPO組織の確立によるマンパワーの確保、等々の条件を整えることも重要な課題です。 
町としては、これらの対応に向けて積極的に取り組み、すでに“緑の基金条例”の制定と住民の善意の寄付を含む2,500万円ほどの基金の造成や森林所有者による“平地林保全の会”の結成も実現しています。
また、このような流れに沿って平地林の整備・保全を進めることを、地域全体の景観整備につなげ、長期的な視点に立った“緑を基調としたまちづくり”にも結び付けていきたいと考えています。