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 無常と狂騒の数年

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年9月12日

宮城県唐桑町長  佐藤 和則


無常観は日本人にとって馴染み深い観念だと思う。四季折々の変化を通し生きとし生けるものの死と再生の輪廻。 
「その主と栖(すみか)と無常を争うさま」 
と方丈記にあるが如く、文芸、宗教の影響もあり、変化を有りの儘に受け入れる性があるのだろう。しかし、ここ数年間の地方自治体を取り巻く変化、殊更市町村合併の凄まじい流れに翻弄された現実は、本町においても斯くの如しである。当初は1市2町での協議であったが、紆余曲折を経て来年3月の1市1町での新設合併となる。感傷の暇はないが、この間を顧みて将来を思う時、複雑な心境だ。特例債への過大な期待、理念なきまま流れに任せ、ただひらすら闇の門に進む風潮に慎重な姿勢で臨んだ。「町民とともに考える」を公約に、2年半で延べ 51回の懇談会を開催し、約3千人の参加を得、住民投票で民意を確かめ議決を得た。
市と町との合併は難しい。2町の姿勢は、周辺部が衰退せぬ配慮と自治区設置が大前提であった。一方、市の態度は市の繁栄を第1に、結果その富を周辺に配分するという家父長的姿勢、ために建設計画の配分も人口割を基本とする強硬論を崩さなかった。加えて自治区設置も地域エゴの温床になり、一体感を損なうとの無理解から合意が得られず、破綻寸前に陥った。
しかし、将来的危機感の共有と各自治体の存立より、地域全体の再生発展を第一義とし、2町の大前提も考慮されて、2月に協議が整い、調印式を迎えた。その後、1町の離脱で頓挫しかけたが、合併の意義を認め合い、10日間の厳しい時間での再協議後、1市1町での合併に合意した。
離脱した町の町民の7割以上は、合併に賛成であったが、議会でわずか1票差で否決された。町民の不満、不安は町長解職、議会解散を求める住民運動に発展した。8月には、三役が辞任し、その後続く政情変化に同じ境遇の可能性があった一員として、複雑な思いを抱く。共に協議を重ね、地域発展に連携を図り、友好関係を築いてきた町だからこそ1日も早く現状を打破し、同朋としてより強い絆を結べることを願う。
合併に関し、様々な評論はあるが、その場において真摯に協議した人達には、評論を超えた苦渋の決断があった事を忘れてはならない。冷静さを取り戻した今だから言えるが、わが民の利を大義とし、主張を先鋭化し、持論に拘り、個と全体の関係課題を内在したまま、さながら三国志の世界を呈するようであった。
首長や議員は保身、野心があり、職員は変革を厭うと評される。しかし、責務とは言え、住民の幸福を願い、自利利他を求めればこそ、政治的決断をして自立の重荷を背負うか、または権能を放棄し、環境の変化を受け入れる。
「名利に使われて、閑かなる暇なく、一生を苦しむこそ、愚かなれ」
と兼好法師は言うが、皮相な名利から離れればこそ苦悩し、批評の的に晒される。主人公たる者すべての覚悟によるが、地方分権の道行きか、はたまた地方力の五衰か、平成大合併の狂騒劇も序幕を経て、第1幕を迎えた。事の正否を見定める前に、道州制の第2幕も用意される見込みだ。今後はかなりの確実を以て国、地方の状況は過酷さを増すことだろう。誇りを失わず生き抜き、まちづくりを次世代に繋げていく必要がある。
男女の別なく、子供から大人まで自治への参加を礎とし、民主主義の再構築を図る事が目下の大事と思われる。変化を受け身に諦める厭世的無常観を抱くことなく、むしろ肯定的に事の成就の好機と捉え、しなやかな体を持って、まちづくりの種子を蒔いていきたい。
地方自治に携わり、時を往く1人として、近い世に咎人として白洲に座りたくないものだ。だからこそ、残された僅かな時、即今、此処をぎりぎりに生きようと思う。