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 台風森林被害あれこれ

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年8月29日

岡山県奈義町長  中井 孝夫
 
昨年10月20日の台風23号は、四国沖から紀伊半島に上陸した超大型の台風でした。
  
私の町は、岡山県の東北端で鳥取県との県境に東西に連なる中国山脈の中に那岐山という国定公園を背に南に開けた、山間にしては広々とした面積約70平方km、人口約7,000人の合併をしないことを住民投票で決めた町です。
自然豊かでまとまりの良い、平素は気候風土の穏やかな農村ですが、残念なことに台風が四国沖を通過する時には局地風が発生し、強風が那岐山から麓へ吹き降ろします。
いつも秋には水稲をはじめとする作物が無事であることを祈り、誰もが台風情報に深く関心を持ちます。我が町は耕種農業だけでなく、牛、豚が町の人口以上に飼育されるほどの大型畜産業が発達し、和牛、黒豚、牛乳の産地として大阪市場等で有名であり、「台風被害を避ける」ことから振興した産業といえます。
この局地風を「広戸風」(広戸:風が吹き出す穴があるといわれる地名)と呼び、昔から風鎮様を祀り、神様に祈るしか方策がなく、発生すると大きな被害をもたらすことがあります。
昨年の台風23号は、奈義町ばかりでなく岡山県北一帯に猛威をふるい、本町では最大瞬間風速51m/sという暴風で、過去にも昭和9年に町史に残る大被害を受けながらも残っていた樹齢2~300年の大木が根こそぎ倒れていますので、その時以上のものであったと思われます。
戦後、農村の振興は人工林からという掛け声で、山という山は自然林を伐採して、スギやヒノキに替わってしまいました。「山持ちは金持ち」として裕福な農家の象徴でしたが、近年は木材の価格が低落し、立派な木を出荷しても赤字になるといわれ、自分の家を建てるにしても買ってきた方がずっと安上がりになるという時代になり、山や田は跡継ぎがいない情況となりました。
高齢化率27%の我が町ですが、人口の約1割700人が、陸上自衛隊日本原駐屯地に駐屯する若者なので、これを除くと30%超という情況であり、農林業の中心的な働き手はほとんどが70歳前後です。
このような中で先の台風により、町内の人工林2,200haに甚大な被害を受け、その内500haが全倒し、唖然として台風一過の時を過ごしました。
多くの木が建物に倒れかかり、道路をふさぎ、「どうするか」直ちに町内の地区長さんを集め、議員も集まり、「自分でできることは各自で」という方針のもと、「先ず住居、道路を通行可能にする」ということに取り組みましたが、最も力になってくれたのは町内400人の消防団員の諸君でした。また、我々の手に負えない危険な個所も相当あり、専門である森林組合や林業の専門業者へも依頼し、何とか一時的な処理をすることができました。
また、国定公園那岐山の登山道も倒木により、いたる所で通れなくなっていましたが、大勢のボランティアの皆さんに手伝っていただき、今まで通り山登りができるようにもなりました。
昨年の台風23号は、岡山県北一帯の森林が我が町と同じように大被害を受け、県北の首長、議会議長等で「農林激甚災」の指定を受けるべく国へ陳情し、その激しい被災が認められて昨年末に指定を受けることができました。
森林復旧は、倒木処理から植栽までを5カ年の期間に実施することになりますが、国が6分の3、県が6分の2とする合計6分の5の補助をいただくことになりました。町としても復旧を促進するため、この5カ年間に10a当り1万円の助成をすることにしましたが、これからが大変です。我が町の森林組合は、県内でも特に技術力や労働組織が優れた組合であり、彼らが中心になって復旧作業に従事していただいておりますが、大型機械等を使わなければ危険性もあり、人力ではとても及ばない作業が多く、組合長みずから陣頭指揮をしてくれています。しかし、地形的な作業条件もあり、5カ年間では復旧できないのではないかと心配しています。国が助成に示す作業単価、歩掛りは、現実とマッチしないとも言われています。
いずれにしても、こういう仕事は「金」だけあればできるということでもなく、また「跡を継ぐ者もここには居らず、負の財産に自己負担までしてはできない、もう木が倒れたままで放置する」という人も相当出てきています。何とか説得もしていますが、なかなか思うようには進みません。
我々は、森林組合とも協議しながら「禍を転じて福としよう」、「ピンチはチャンス」と呼びかけ、また復旧の植栽樹種は「できるだけ広葉樹に」「その中に山桜も入れて、全山に山桜が咲く町も楽しいではないか」と言いながら頑張っています。