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 日本のふるさとと輝く未来が共生する花のまち

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年6月13日

島根県町村会長・斐川町長  本田 恭一


古代と未来が響き合う 花のまち 斐川町!
人口28,000人、面積 80.64平方キロメートル。山陰では珍しく平地の7 割が田園農村地帯です。また、人口減少県の中にあって3日に1人の割合で人口の増加する町でもあります。
斐川町は昭和30年4月旧6ヶ村(荘原村、出西村、伊波野村、直江村、久木村、出東村)が合併して誕生しました。当時の人口は25,000人で農業を中心とするゆったりとした静かな村でした。
私も農家の生まれで、幼少の頃より家の手伝いをし、自然の中で育ちました。田圃にはドジョウ、タニシ、メダカ等沢山の生物とふれあいながら生活したものでした。また、以前の田植えは6月に行っており、家族や近所の人たちがお互いに協力して、手植えで行いました。その当時小さい私には大変厳しいものでしたが、楽しみも沢山ありました。田圃に入ると、膝より上まで深く沈みますので、足を抜くのも大変でしたが、その時期はホタルが飛び交う頃で、植え終わるとホタルを捕って遊ぶ楽しさもあり、辛さはどこかへ飛んでいった思い出があります。
四季のはっきりしていたあの頃は、野や山には春になるとワラビ、ふき、タケノコが芽を出し、6月にはびわも実り、夏が近づくと山桃、トマト、スイカ、あじ瓜、桃。秋には、イチジク、栗、柿、アケビと自然の恵みを頂く喜びがありました。更に家の前を流れる斐伊川、高瀬川で川魚を素手で掴むのが得意で、ナマズは親指と中指で掴む技もあります。
さて、このように自然いっぱいの斐川ではありましたが、昭和30年代~45年頃、農業も機械化が進み、人手が要らなくなり、若者達は都会へ流れ、人口が22,000人まで減少してしまいました。
このままでは、高齢者だけの町になる、若者達の働く場を作らなければとの思いから、企業誘致に力を入れ始めました。その結果今ではの誘致企業があります。中でも出雲村田製作所には3,000人の雇用をいただき、積層コンデンサーでは生産高世界一の工場になるまでに発展されています。更に現在、ノートパソコンはほとんど国外製造ですが、富士通だけは国内製造です。その富士通のノートパソコンの100%を島根富士通で製造しています。つまりノートパソコンは国内唯一、斐川町で製造されている事になります。その他には医療機器製造の島津製作所やロボット生産のスター精機などもあります。企業誘致のお陰で若ものの流失が止まり、人口は増え続けているのです。
ところで、斐川町にはもう一つ大きな財産があります。農道整備のため調査をしておりました時に、青銅の破片が見つかりました。本格調査を行ったところ、まさかの銅剣358本が2000年の眠りから覚め発見されたのです。昭和59年7月12日の事でした。当時全国で発見された銅剣が300本余りですから、誰もが予想もしなかった古代史を覆す大発見となったのです。また、その翌年数メートル離れた場所からは銅鐸6個、銅矛16本が発見されたのです。その後出土地を中心に平成6年には史跡公園の整備を行い、また、平成10年には銅剣、銅鐸、銅矛が一括して国宝に指定されたことから注目を集め、全国から多くの方々に来て頂いております。あれから21年、全国の考古学愛好者と多くの町民の願いに応え、荒神谷博物館をこの秋の10月にオープンさせることになりました。
その荒神谷博物館から東の方向に大黒山という高くそびえる山があります。ここは薬草が豊富です。古くからこの地方では薬草を用いて医療の研究が進められていたものと思われます。全国で唯一完本で現存する出雲風土記には61種類の薬草が記されており、その多くを朝廷に献上したと伝えられています。
銅剣、銅鐸、銅矛に見られるように、古くからこの土地の人々は高度な技術を備え、財政力も豊かであったと思われます。このように医療の研究開発が進んでいたとなれば、現在の先端産業と古代とは決して無縁とは言えないように思います。
町内には島根県出雲地方の空の玄関、出雲空港、山陰高速道路のインターチェンジがあり、交通も発達しております。
歴史的には名所、遺跡が数々あり、先端産業も集積し、生まれ変わった2,500ヘクタールの圃場には、28の集落営農組合によって守られ、春は菜の花、チューリップ、夏にはひまわりが空港周辺35ヘクタールにわたって咲き、冬には西日本一の生産高を誇るシクラメンが花農家のハウスで見事に咲きます。簸川平野全体を見れば全国何処にもない築地松に囲まれた散居の農村風景、多くの人は、ここで癒され、やすらぎを感じ、パワーをもらい、明日に向かって夢と希望を抱きながら邁進するのです。ここ斐川には日本のふるさとと輝かしい未来が共生しています。