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 ひと夏の一断片

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年3月28日

ひと夏の一断片

千葉県町村会長
三芳村長
 安藤 光男


東富士五湖道路を抜け精進湖畔に車は進む。かつて、篭坂峠越えは夏ともなると大渋滞をきたし、大変難儀な思いをしたものだ。幹線道路としての高速道路が渋滞するのは広域経済の上からも、日常生活からも大変な不利益であるが、それに連結する地方道の整備充実もまた国全体の活力向上に欠かすことのできない要素である。

陸の孤島と言われた南房総にも昨年やっとバイパスが繋がり、竹岡・館山間が曲がりなりにも一本の太い線となった。

それでも東京湾アクアラインや首都東京に直接流れ込む館山道との接続はもう少し先の話だ。

地方経済の活性化はもとより、首都圏の、ひいては日本の活力復権の引き金として一刻も早い整備が待ち望まれるところである。

精進湖畔を右に折れ、暫く進むと上九一色村に出る。ここを通ると必ず10年前の出来事が頭をよぎる。1月には、阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件そして5月にはオウム施設の大捜索。近年はあまりにも変化が激しく、多様化しすぎているのだろう。地方自治が懸命に追いつこうとしてしても近づけないもどかしさをいやがうえにも痛感させられる出来事だった。「日本中がだれている感じ」との名言が人口に膾炙したのはこの頃だったと記憶している。

真夏の太陽を浴び車は進む。目指すは昇仙峡だ。甲府駅を過ぎて左折、更に山間部に入る。この付近には、湯村温泉や信玄誕生の地と言われる積翠寺などがある。今でこそ観光客も数多く立ち寄る温泉地だが、信玄がつつじが崎に館を構えた16世紀の頃にはまったくの秘湯であり、信玄の隠れ湯でもあったと言う。

関東甲信越周辺には多くの温泉地がある。火山帯の走る地だけに、景勝地も多く、道路網の充実は房総の比ではない。何年も前のことだが、この地の温泉で会った年配の女性」に、「房総には二度と行きたくないと言われ、大変なショックを味わった経験がある。房総は交通の便が悪いし、これと言って見て楽しむところもないとの仰せであった。

確かにそのとおりか。人工的に温泉や景観を作り出すわけにもいかない。となれば、いかに人と人との交流を図るべきか、特に都会の人の心に響くもの、もう一度訪れてみたいと言う思いを抱かせるには、道路はさておき他に何ができるか。この辺を行政も住民も真剣に知恵を出し合っていかなければならない。

昇仙峡への道路はよく整備され「仙ケ滝」へも駐車場から簡単に行けるようになっている。川沿いに歩いて瀧に到ると、水しぶきや水音に胸打たれた往時の神秘の名残がかすかに感じ取れた。交通網整備の功過の妙、と言ったところか。

その夜は畑から突然温泉が噴出し大観光地となった石和温泉でのんびり汗を流す。甲州には武田信玄に関わる史跡や寺院など数多いが、菩提寺である恵林寺、信玄堤は是非回ってみたかった。特に恵林寺は、その名を聞いただけで胸が高鳴る。

恵林寺は甲斐の国随一の名刹、夢窓疎石の開山とある。信玄は快川和尚に帰依し、寺領を献じ、禅や政の師と仰いだ。後年快川和尚は織田信長に攻められ焼殺されるが、その折に、「心頭減却すれば火も自ずから涼し」と残した言葉は禅僧の悟りの境涯を示したものだが、一国の主たる信玄もまたその豪壮な堂宇と地泉回遊式の庭園に、60余州統一後の扶桑国の理想を読んでいたのだろうと思う。甲府盆地は笛吹川、釜無川、御勅便川などの合流地点で、常に水害に悩まされてきた。特に竜王町(現在は甲斐市)付近の水害はひどく、治水は住民の永年の念願だった。信玄は川除用の堤防を築き(信玄堤)住民の苦難を解決したと言う。優れた武将、軍略家、政治家であった信玄の土台は、常に「人」にあったことがわかる。

政治に携わる身にとって、住民の願いを前に、広く異領域に眼広げ、近末来の理想を確と据え、さて何が差し迫って大切な課題があるかを適切に選択する判断力、そして実行力がリーダーに欠かせない資質ではあるまいかと思いつつ下部温泉へと向かっていった。