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 知床世界自然遺産登録を目指して

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年11月8日

知床自然遺産登録を目指して

北海道斜里町長 午来 昌

  
平成5年、屋久島・白神山地が世界自然遺産に登録されたことを耳にして、北海道が何の動きも出来なかったことが無念で、次は知床の世界自然遺産登録を目指したいと心に決めた。あれから10年の月日が流れた今年、日本政府が、世界遺産委員会事務局に知床の推薦書を提出をしたことは、登録への大きな一歩であると期待する。

知床の概要について記します。

知床は、日本の中で原生的な自然環境が保全されている貴重な地域であり、火山活動などによって形成された急峻な山々や切り立つ絶壁が、今日まで豊かな自然を開発から守り、多くの野生生物を育んできた。

世界で最も低緯度に位置する季節海氷域の特徴を反映した海洋生態系は、陸上生態系と連続することによって複合生態系を形成しており、知床はその仕組みを示す顕著な見本である。流氷が運んでくる様々なプランクトンは、海、川、森の各生態系にわたるダイナミックな食物連鎖を形成している。また、シマフクロウ、オオワシ、オジロワシ、クマゲラなどの国際的希少種の重要な繁殖地や越冬地となっており、これらの種の存続に不可欠な地域である。また、四季の変化の大きい原生的な景観は、優れた自然美を有している。知床は、環境省、林野庁により各種の保護地域(オンネベツ原生自然環境保全地域 知床国立公園 知床生態系保護地域 国指定知床鳥獣保護区)が指定されており、自然環境の保全が担保されることにより、原生的な自然環境が人為により破壊されることなく、今日まで残されてきた。

知床は昭和39年に国立公園に指定され、今年で40年を迎えた。私はこの公園を、日本一の公園にしたい。知床で生まれ、育ち森や川や海。淋しい時、うれしい時、又泣いた時に勇気を与えてくれた自然。友人も先輩も皆、この自然に力をもらった。荒れた心の時、一人ラウス岳の頂上に立ち天空を見て、雲間から見える下界のなんと小さなことか。山は無言だが、大きな心でいつも私に力をくれた。

知床が世界自然遺産登録への推薦決定までの道は、決して楽なものではなかった。若い時代は誰も本気にしてくれず迷ったときもあったが、私たちの故郷知床をしっかりと後世に継承する目標と夢をもって、歩みは遅くとも一歩一歩進み、振り返れば道はついてくるものと実感している。やる気があれば出来るという自信にもつながった。知床の世界自然遺産への登録は平成17年の6月下旬であるが、それまで油断は出来ない。登録までには、まだいくつかの課題をクリアする必要があるが、国、道、町村で智恵を出し合えば必ず答えは見出せるという確信を持って臨みたい。

斜里町が遺産地域を目指して来た中に、昭和52年にスタートした『知床で夢を買いませんか。百平方メートル運動』がある。あれから28年を迎え、植樹をした木々は知床の大地に根付いて元気に育ち、300年、500年後、原生の森になることを確信している。この運動は今も続いており、全国から5万人を越す人々の善意に支えられている。そして、昭和62年の国有林伐採問題反対運動から学んだことは、常に将来に向かう大切さ、目先の利益だけでは何も生まれないということだった。世界自然遺産登録運動も最初は相手にされなかった。平成5年からは、隣町の羅臼町と共同で運動をスタート、そして10年の月日が発った。苦労も多かったが、やりがいもあった。熱意と情熱があれば関係する中央官庁の役人も政治家も理解してくれる。そのことが大きい。

今、地方は、三位一体改革で揺れているが、地方からのゆるぎない民を想う心と故郷を守る精神が全ての首長にあるなら、答えは明るいものに見えて来ると思う。来年の7月には、日本で3番目になる世界自然遺産登録が実現して楽しき乾杯が出来るよう、全国の首長に『よかったね!』と言われることを願って、最後の頑張りを続けたい。