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 きらりと光る町をめざして

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年10月4日

きらりと光る町をめざして

鳥取県日南町長 矢田 治美

  
第45回目の成人式を8月15日に実施した。夏の成人式になってからしばらくだが、以前は1月15日だった。

昭和34年、日南町が発足して45周年。当時の成人者は300人以上、今年は72人だった。これほどに減るとは誰も想像しなかったであろう。

今、平成の市町村合併が進められている。私の町は、内閣総理大臣の勧告を受けて旧7村(段階合併があって34年に5町村)が合併して鳥取県の1割の面積を要する341平方キロメートルの町となった。人口は1万6千人から現在6千6百人に激減した。いろいろな施設整備で中心地は賑やかになったが、そこから離れた山間地は、空き家や独居老人家庭が増えてきた。

しかし、わが町は、当面単独自立でやる道を選んだ。もともと広域合併をめざしていたが、周辺町村が小さな合併を選んだため、単独でやらざるを得ないということもあった。苦しいながらも、まとまって力を合わせてやろうと、住民の意向を大切にした。

かつて、日南町は神話の町として、たたら文化の町として栄えた。砂鉄を取るカンナ流しは新田を作り、やがては弓ヶ浜半島を形成したといわれている。神楽も盛んで、平成14年度の国民文化祭では、日南町が全国神楽祭の会場で全国から参加していただいた。

日南町は、作家にゆかりの深いところでもある。戦時中日南町に家族を疎開させていた文豪井上靖(名誉町民)先生は、日南町の空気や佇まいをして、神々が住みつきたたずたくなるような「天体の植民地」。又、松本清張先生(日南町は清張の父の出身地)は「日南は記紀(きき)の国」とうたわれ、それぞれ小説の舞台にもなっている。

時代は移り、経済優先から心の時代、そして環境の世紀になった。9割が森林の町として、地球温暖化防止に寄与すべく、町全体として取り組んでいる。日野川源流域の山林668ヘクタールを買取り環境林として位置づけ、林業体験や森林ボランティアなどのフィールドとして活用し、日野川流域や都市部の人も参加して、人的交流も盛んに行われている。また、鳥取県西部地震で被災した庁舎は、町有林や町民から拠出してもらい地元材100%で建てた。来庁者は、一同に「すばらしい香り」と言って下さる。さらに、ISO14001も取得して、環境方針のもと実行している。全小中学校(9校)で学校版ISO(県のTEASⅢ種)を取得し、子供の時代から環境教育、環境づくりに力を入れている。

私も、町にかかわって役場生活も50年を過ぎた。高度経済成長時代に行政の守備範囲が拡大し、組織も肥大化した。バブルが弾けた後も借金によって経済を維持してきた。思えばこの間、すべてのことが変化し、価値観も変化してきた。特に地方自治の面では、今や自立(自律)が大きなテーマとなっている。

住民本位の町政を重ねて呼びかけているが、突然に改まるものではないことを承知しながら、もどかしさを感じている。とはいえ、ここ5年間を目途に自立に向けた改革を必ずや実現していく決意である。

これから単独で自立していく町として、歴史を大切にしながら、特色ある町づくりのためのきめ細かい取り組みが求められる。過疎化、高齢化は進行したけれど「森と水」の自然環境をキーワードに、交流、情報化、医療福祉、教育文化、産業振興などにより、住民の幸せを求めて、職員や議会、町民と協働してきらりと光る町づくりに一層元気を出していきたいと思っている。