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 わが愛すべき郷土 ~鈴鹿川の流れとともに~

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年8月30日

わが愛すべき郷土

三重県関町長  清水 孝哉


三重県の鈴鹿山麓に位置し、古代には、日本三関と言われた伊勢・鈴鹿の関が置かれた関町。

江戸時代には、東海道五十三次の宿場町のひとつとなり、伊勢、大和への分岐点として繁栄した緑多き歴史と伝統が生き続ける町。その町並みは、「関宿」を形成し、国の伝統的建造物群保存地区として選定を受け、東海道唯一の町並みとして、全国各地から年間数十万人の方々に来ていただけるようになり、人の持つ、視・聴・嗅・味・触の五感に訴え、心を癒してもらえる、そんな町の横顔を持っています。

また、一方では、三重県のクリスタルバレー構想に基づいた21世紀のリーデイング産業となる企業誘致やそれに伴う宅地造成にも力を注ぐ、バランスのとれた町として、今を迎えております。地形的には、町面積79.88km2のうち、85%が山林であり、鈴鹿川という清流をつくり出し、自然がいっぱいの町であるといっても過言ではありません。

そんな、すばらしい魅力いっぱいの関町に町長として、私は、平成6年4月3日、51歳の折、就任いたしました。昭和36年3月、地元の高等学校を卒業し、4月には、一企業の社員として社会人の一歩を踏み出し、町長就任まで、企業戦士として、世の中にすばらしいと評される『もの』を創り出すことに毎日を費やしておりました。

そんな時、一大転機と申しましょうか、企業や地域の方々とお話をさせていただく中、微力ではあるものの新世紀に躍動する関町を創り出す、町民本位の開かれた町政の推進を図り、「福祉」「環境」「教育」の三本柱で、我がふるさと関を築いていきたい。そんな思いが、私の胸中に沸々と湧き上がってきたことを、つい数日前のように記憶しております。そして、当選。

それからは、行政経験の全くゼロの私にとって、勉強、勉強の毎日でありました。職員に対しては、行政における企業概念めいたものを理解させ、率先実行の重要性やNOプレーNOエラーの話、Do IT YOURSELF(何でも自分の手でやってみる)といった私のモットーを切々と語ったことが思い出されます。

そして、早いもので3期、今年で10年。国、地方を問わず、いろんな意味で大きな変革の10年であった気がしてなりません。今日、何の具現化も示されないまま進もうとしている国の三位一体改革、地方が元気になろうとしても、その芽を摘んでしまうような施策など、小さな町が住民の思いを形にしていける行政をするには、なかなか難しい問題山積といったところでしょうか。

そして、町財源の3分の1を地方交付税交付金でやりくりしてきた、我が町に大きな転換期を迎えることになりました。行政そのものの位置付けを、住民とともに歩み地域自治を行う、歯車的存在とし、協和と自由を持ってプロセスを大切にする、より大きな行政体を目指すことといたしました。それが関町長として最大最強の英断である合併問題であります。

究極の行政改革とも称される合併。賛否両論、何十回に及ぶ住民との膝詰め議論の中で答えとした合併。そこに注いだ私自身のエネルギーは、我が人生において、たいへん大きなものであったと思っております。

そして、平成17年1月11日、東隣の亀山市と1市1町で合併し新市としてスタートをきる運びとなりました。先人先輩の英知とたゆまぬ努力により築き上げられた「ふるさと関」、「関町」というひとつの自治体は、幕を閉じることになりますが、「ふるさと関」は、未来永劫生き続けることになりましょう。「地域住民の自主性を尊重する市民参画型の都市づくり」を基本理念とする『豊かな自然・悠久の歴史 光ときめく都市(まち)』とした新「亀山市」に繋げ、住民のみなさんが「合併して良かった」と思っていただけることを信じております。そのことが、関町長として、「合併は将来のために必要不可欠」との強い信念を持って全力投球してきている、私のすべてであります。

本誌の題名として掲げた鈴鹿川。一滴の雫から、また、鈴鹿山系の雨水、湧水などが自然の力でひとつとなって、大きな流れをつくり出し、そして太平洋の大海原へ流れ着く。

この鈴鹿川を私は、我が人生として、今後も見守り、大切にしていきたい。