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 行き先を案じつつ

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年8月16日

行く先を案じつつ

青森県脇野沢町長  山崎 隆一


平成2年7月に、約30年の営林署勤務後、村の収入役を経て、現職に就いた。いや、就かされたと言った方がいいかも知れない。それは、強靱で現役バリバリの前村長が51歳で突然病に倒れ、帰らぬ人となった。落ち込む中で、村葬その他に奔走していたのだが、このとき既に私の知らぬ所で、村長選出馬の線路が敷かれていたのだ。このことをはじめて知ったときは余りにも予想外で、ただ唖然とした覚えがあるが、気がつけば街頭演説のマイクを握りしめ、しわがれた声を振り絞っていた。私の迷いを断ち切ってくれたのは、多くの支持者の皆さんであり、最後に決断させたのは、前村長の人一倍旺盛だった郷土愛と、この村を良くしたいと地方公務員を捨て、どう見ても勝算の低い戦いにあえて挑んだ故浜田昭三氏の志が、私の心の奥底に脈々と息づいていたからであった。

前村長は私の一つ先輩で、何事にも積極、前向きな人だった。表向きは馬車馬のごとく突っ走る豪傑を演じていたが、ナイーブでやさしく涙もろい人だった。私とは幼少のころから泥塗れになって白球を追った仲で、こと野球に関しては、自他ともに認めるキチガイの部類だった。私は、64歳になる現在も、熟年野球の現役である。周りからは、励ましよりもいい加減に、の声の方が強いが、体力の続く限り、生涯現役が目標だと交わしている。

さて、脇野沢村は、本州最北・下北半島の西南端に位置する漁村である。人口は、かつての半分の2,500人まで減り、過疎地域特有の若者流出や少子高齢化が著しい。村の大看板は、歴史と伝統に支えられた真鱈漁で、鱈の里とも呼ばれているが、ここ数年、大不漁に見舞われ、村全体が沈んでいる。反面、勢いづいているのが、これまた有名な天然記念物・北限のニホンザルである。厳冬に逞しく健気に生きる姿は、見る人の心を揺さぶるまさに大自然のパノラマなのだが、春から秋にかけては、丹精込めて育てた収穫間近の野菜等を人先に失敬するため、農家の皆さんは怒り爆発。当然、その矛先がお終いには私に回ってくるので、抜本的対策がない現状と相まって、自然保護と農家の板挟みで、何とも苦慮している。

下北半島の中心地むつ市からは、自家用車で約1時間と、陸路では辺境にあるが、県都青森市から高速旅客船で50分、津軽半島の蟹田町からカーフェリーで1時間で結ばれ、海路を通じて、半島内の秘境「恐山」や「仏ケ浦」、そしてまた豊富な温泉地へ誘っている。

終りに、愚痴を少々言わせてもらう。

今、全国の大方の自治体が市町村合併と極度な財政難に喘いでいる。苦渋の源は、否応なしの交付税の大幅な減額にある。確かに、国、地方財政ともに危機的状況にあり、地方分権や市町村合併を見据えた国、地方の改革が必要であることは、十分認識している。

しかし、多くの自治体が市町村合併という難題に取リ組み、今まさに大詰めの段階を迎えようとしている大事な時期に、しかも、住民に対しては、合併すれば、当面は苦しいが将来に光を見いだせることを財政シミュレーションに示して、既に納得いただいてきた。こうした全国的な動きが明白な中にもかかわらず、合併を推進しているはずの国は、さらなる交付税の減額を強行した。その結果は、これまでの合併協議や財政シミュレーションの修正に止まるものではなく、国、自治体、住民間に大きな不信感を招いた。特に、我々にとっては、住民に嘘をついてきたような結果となっている。

平成17年3月には、合併によって多くの首長が失職する。私もその一人だが、合併問題も含めたここ数年の取組の中で、最後は、合併を望ましい形で成就させ、スッキリした気持ちで終えたいものだと念願してきたが、どうも叶えられそうにない。残念ながら大きなツケを残しそうである。

ただ、まだ時間はある。最後の最後まで職責を全うする気に変わりはない。勿論、一球入魂、全力投球で。