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 春に思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年5月17日

春に思う

香川県綾南町長  藤井 賢

 
早春、一つひとつに子どもたちの思いが込められた絵馬が、飛び梅の花影で希望に輝いている。綾南町滝宮、年間の参拝客が7万人を数える「滝宮天満宮」で毎年のように見られる風景である。

ここ滝宮天満宮には、学問の神様として知られる「菅原道真公」が祀られている。道真公は、仁和2年(886年)の春から寛平2年(890年)春までの4年間、讃岐の国司を勤めていた。滝宮には道真公の別館があったと伝えられ、わが町にも菅公ゆかりのエピソードが数多く残っている。

その代表的なものとして「滝宮の念仏踊り」がある。道真公が赴任して2年目の仁和4年(888年)のこと、どこもかしこも土が焼け焦げたようになり、稲の苗が枯れ果てるという、ひどい干ばつに襲われたという。その惨状をみかねた道真公は、自ら城山にのぼり精進を傾けて祈りをささげた。そして7日7夜を経た満願の日、一天にわかにかき曇り、3日3晩大雨が降り続いたということである。

干ばつから救われた農民たちは、喜びのあまり道真公の滝宮の館の前に集まって、感謝の心を込めて踊った。これが今でも踊り継がれている「滝宮の念仏踊り」のはじまりと伝えられている。

この後、延喜3年(903年)、道真公が大宰府で亡くなったことを知った農民たちは、滝宮神社で鉦や太鼓を打ち鳴らして霊をとむらい、冥福を祈った。それから毎年菅公の遺徳をしのび、報恩感謝をこめるとともに、五穀豊穣を祝って、また干ばつのときには雨乞い踊りとして奉納するようになり、「滝宮踊り」として伝えられることになったとされている。

それから約300年後の建中年間、法然上人がこの地に滞在のおり、「滝宮踊り」を見て振り付けをし、念仏を唱えながら踊るように教えられたとされ、これ以降「念仏踊りと」言われるようになった。

現在では、滝宮神社と天満宮の社前で毎年8月25日に、裃に袴、頭には花笠をかぶった下知と呼ばれる踊り手が、ほら貝や鉦の音にあわせて大団扇をもって踊る様式となっている。昭和52年5月には文化庁より文部大臣による重要無形民俗文化財として国の指定も受けた。

これ以外にも、道真公は、ある時には釣りをする老人と人生観を語り合い、ある時には木陰で村の子どもたちに書を読むことを教えたりと、町人とあたたかい交流をもったようである。

そんな「学問の神様」ゆかりの土地柄からか、わが町は代々教育熱心な町として知られてきた。昭和48年には、「教育の町宣言」を行い、学校教育はもちろん、生涯教育を通して、健康であたたかい人づくりに重点をおいて尽力してきた。

私が常日頃思っていることは、「まちづくりの基本は人づくりにある」ということだ。素晴らしい人が育つ町が、発展するのは当然のことである。教育レベルの高い町として知られていることは誇らしいことだが、それに慢心することなく、こうした先輩たちの努力を継承し、教育への取り組みは「おしみなく」行いたいと考えている。

今、合併の協議がすすんでいるが、その協議においても、この教育を第一義に置き、町の伝統と教育風土を合併後においても存続できるよう努力していきたい。

おりしも春風のなか、わが町の学び舎では、新入学生を迎え、明るい笑顔に輝いている。未来を担う子どもたちが、恵まれた環境の中、のびのびと健康的に育ち、学び、「心を養う」支援に努力したいと、うららかな春に思う。