ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 >  町並づくり思う

 町並づくり思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年3月15日

山形県松山町長  佐々木 藤正

松山町は、山形県の北西部、庄内平野の東部に位置し、北には秀峰鳥海山、南には月山を主峰とする出羽三山を眺めることができ、吾妻山を源流とする最上川が、県内陸部を貫通し、庄内平野を流れ日本海に入るが、その右岸に沿った細長い地形の町である。町の東側に位置する出羽丘陵地帯は、庄内平野を一望し、その向こうには日本海や飛島を眺めることができる。町の中心部は東経139.57度、北緯38.51度に位置しており、町の広さは南北約16キロメートル、東西約4キロメートルで町の総面積は42.92平方キロメートルである。
松山町は、昭和30年1月1日、隣接する上郷村、松嶺町、内郷村の1町2村の合併によりできた町である。江戸時代には、庄内藩主酒井忠勝氏から分封された松山藩主酒井忠恒(忠勝の三男)の所領で2万石の城下町として発達した。後年、桐生5千石が加増され、2万5千石となり、幕末の戊辰戦争、明治の改革、昭和の合併を経て現在に至り、町の中央部に当たる松嶺地区の旧松山藩本丸跡には、大手門や当時の町並が残っている。
このように残された文化遺産や、城下町としてのイメージを大事にしながら、中、長期的な町並整備計画を進め、前任の土方町長時代からの成果が評価され、昭和63年美しい街並み賞山形経済同友会大賞、平成元年ふるさと手づくり郷土賞「歴史を生かした街並30選」、平成2年人間道路会議賞大賞、平成5年やまがた景観デザイン賞知事賞等多くの賞をいただきました。
町並保存とともに、町には多くの有形、無形の文化財が引き継がれています。松山能、武者行列、松山藩荻野流砲術等伝承、保存をしていかなければならないものが数多くあり、町民の協力がなければでき得ないと考えます。
恵まれた自然環境の中で、出羽丘陵地帯には、森林学習展示館、天体観測施設等を配置した森林公園「眺海の森」があります。眼下には最上川の流れや庄内平野、その先に広がる日本海、日本海に入る夕日の景観は、ここを訪れる人たちに感動を与えてくれます。景色を眺めるだけでなく、森林の中の散策、自然の観賞、伝統芸能の鑑賞など、多目的に来られる人たちが多くなっている様に思います。
今、全国各地で市町村の合併について、協議・検討が進められております。合併座談会の中で、住民の皆さんから、行政の区域が大きくなることによって、これまでの地域の特性や存在が無くなるのではないかとの声が聞かれます。最近は、「三位一体」の改革のもとに財政問題が先行していると思います。市町村合併は、本来の合併論議のもとに進められるべきと思います。
私の町も今、1市4町での合併協議が進められております。合併後の新しい「まちづくり」の中でも、地域の個性は持ち続けたいものです。それには、その地域に居住する皆さんの協力が、不可欠であると考えます。今後も継続して、町づくり、町並づくり推進に、努力をしていかなければと考えるこの頃です。