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 田舎型未来都市を目指して「わが町の紹介を兼ねて」

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年1月5日

岐阜県町村会長
 笠原町長
 水野 隆夫

我が町岐阜県笠原町は、岐阜県の東南端、県内では多治見市・土岐市と隣接し、南は愛知県瀬戸市に隣接しています。面積は13.45平方kmの小さい町ですが、全国に建築用モザイクタイルの生産地として知られ、そのシェアーは約50パーセントを占めています。人口は約12,000人、幼・保・小・中それぞれ一園一校で一貫教育を実施している町でもございます。
この町の歴史について少し触れてみますと、町の中央に 「陶ケ丘」公園 と称する町民憩いの公園があり、その公園の中に陶祖碑という石碑がありますが、その陶祖碑には陶祖の加藤治郎大夫という人が、四百数十年前にこの地に陶業の基礎を築き、以後当地住民のたゆまぬ努力により今日の陶業の発展を見たという趣旨の事が刻まれております。毎年町と商工会の主催で業界の皆さんを中心に陶祖祭が行われ、陶祖碑の前で感謝の誠を捧げ、記念行事が色々と行われます。この様な歴史の紆余曲折を繰り返しながら、大正12年迄は笠原村として存在しましたが、その年の10月に町政が施行され、昨年で80周年に当たるため、去る10月10日にはその記念行事を行い、これまでの間に町政の発展に貢献されました多くの皆さんが表彰されました。
この80年の間には主産業である陶業界が海外輸出に関係がありますので、第2次世界大戦を挟んで景気の波に左右され、その時々に色々の波乱があり盛衰を繰り返してきた経緯が即町の歴史になる理由ですが、1つだけ特筆すべき事項がございます。それは昭和26年戦後の町村合併が時代の流れとして大々的に行われた時に当町も一旦は多治見市と合併いたしましたが、当時の住民が住民の民意を無視して町会議員が勝手に決めたという反発から反対の分町運動に発展し、翌27年に一部の地域を残して多治見市から分町して再び笠原町に戻るという当時としては全国的に珍しいケースとして注目を浴びました。
そんな歴史のある中で現在当町は同じ陶産地である多治見市・土岐市・瑞浪市と3市1町で法定の合併協議会をつくり17年1月の合併を目指して、既に20回以上の協議を重ねて進行中でございます。本年1月には選挙方式で住民の意向調査を行うことになっており、最後の詰めに差し掛かった状態でございます。今度こそは悔いの残らない結論が出るように歴史の教訓を忘れる事なく、民意が反映出来るように住民説明会を開き、その是非を判断する材料を提供するように努めている処でございます。
ここで当町のもう1つの特徴でもある冒頭でも紹介致しました一貫教育について述べてみたいと思います。当町は保育園・幼稚園・小学校・中学校がそれぞれ一園一校であり、何か特徴のある一貫教育が出来ないものかと、現場の校長、園長を中心に、町執行部、教育委員会等関係者が協議をし、中学校を卒業したら海外旅行をしても日常の会話で不自由しない程度に英語が喋れるように育てよう… という目標を創りました。その為には、現在一人のALT「英語助手」を増員して保育園・幼稚園から生きた英語を教えよう、併せて人間としての基礎をしっかり身につける為に読書の習慣を身に付けさせようと読書日記をつけさせる、又併せて心の優しい人間として成長するように挨拶運動や家庭での親子の触れ合いを大切にする事を基本目標に取り組んで参りました。その結果約1年半を経過すると、英語を使った授業が増えてきたため、新聞・テレビ等で紹介され、文部科学省からも現地調査を受けるなど、各方面から注目されるようになりました。そして何よりも我々が取り組んで良かったと思う事は園児や生徒が生き生きとしてきたように感ぜられる事でございます。今後とも更に効果の上がるように
取り組みたいと思っております。
最後に冒頭のタイトル」の「田舎型未来都市 について紹介致しますとこれは当町の第3次総合計画で目指す目標でございます。都市に囲まれ「下水・ゴミ処理・医療福祉」といった都会の便利さと、また当町には潮見の森という近辺に有名な広大な山の公園がございますので、人情豊かな田舎の自然の良さを都会の便利さと共に兼ね備えた町に育てようというのが目標でございます。町の良き処は新しい合併が実現された後も残るような仕組みを考えながら、現在の課題と真剣に取り組んでいる処でございます。
激動する時代の流れに乗り遅れないように頑張っている姿勢の一端を紹介して随想と致します。