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 人生所感

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年11月11日

福井県越前町長 京谷宗雄

この季節、町の至る所に白い湯気が立ち昇り、町全体がにわかに活気をおびてまいります。ご存知のとおり越前がに漁のはじまりです。

私どもの住む越前町は、福井県の海岸線中央部に位置し、前は日本海に面し、背後は丹生山地が迫る典型的な海岸段丘の地形をしています。

このため、農耕適地や居住用地などの平坦地が極めて少なく、海岸線に沿って南北に細長い町並みを形成しています。

海岸線は、越前岬を中心に切り立った断崖と奇岩怪石が連続する男性的な海岸美を誇り、昭和43年には、越前加賀海岸国定公園に指定され、四季を通して訪れる多くの観光客の目を楽しませ心を和ませています。

越前町は、昭和30年に四ケ浦町と城崎村が合併し誕生しましたが、まもなく50周年を迎えようとしています。

古来より海と共に歩み続け、主産業も浅海漁業や製塩業から近代的な漁業と観光産業へと移行し、常に時代と共に変化してきていますが、何れもその基盤は全て海からの恩恵にあります。現在、漁業は県下第1位の漁獲高を誇っていますが、近年、資源の枯渇や魚価の低迷さらには、従業者の高齢化が進み、漁業の町も、今、大きな転換期に直面しています。

実は、私も昭和8年、先祖代々続いてきた漁師の長男として生まれ、渚から50米程のところに生家があり、生まれながらに海と共に育ち、波の音を子守歌として過ごしてきました。あの戦中戦後の厳しい食糧不足や物・金のない時代を体験したことから、卒業後は、ためらいもなく、漁業経営者の跡取りとして家業を継ぎ、専念してきました。当時は、都会から親戚を頼って疎開してくる人があとをたたない社会状況でした。従って、田舎の町村は人口が年々増え続け、今日では考えられない状況にありました。今、私達も含め、日本全体が戦後の貧困の時代を体験し、全てに耐えて来た事は、忘れることの出来ない心に残る貴重な人生体験だと思っています。

思えば、当時は、青年団活動が活発で、私も青年団長に選ばれ、若い頃から漁業経営のかたわら、各種団体の長や組合の役員等を経験し、特に水産漁業団体については、仕事柄色々な体験をし、その後の人生に大きく役立ちました。

昭和50年には、友人達の強い推薦に押され、42歳にして町議会議員に初当選し、5期半ばの18年間、町の議会を舞台に研鑽を積んできました。そして、平成5年10月、町長に就任し、2期目、3期目と無投票当選により現在に至っています。

この間に歩んできた、自分の道を振り返ってみれば、様々な事が昨日のように脳裏を駆けめぐります。特に、戦後のあの荒廃した日本社会が半世紀を待たずしてあらゆる分野を克服し、世界に類のない短期間で、先進国の仲間入りを果たしたことは、まさに先輩達のご苦労の賜であり、その結果だと思っています。

そして今、バブルが崩壊し、気が付いてみれば、一生懸命高度成長を歩み続けて成熟した日本の社会構造全体を見直す状況におかれています。政治、経済、福祉等あらゆる分野にわたって、聖域なき構造改革を断行し、これに立ち向かう事が、今、私達に課せられた至上命令だと思っています。

近年、あまりにも急激な時代の流れや変化に困惑してきました。この辺で、心に余裕をもって立ち止まり、自分を省みる事が大切なのかもしれません。  今、全国各地で、行財政基盤の強化や地域性の創出を図るため、市町村合併問題が大きく問われています。私は、町の21世紀の将来展望を描きながら、町民とともに日々の生活に夢がもてるような行政を目指し、これからも、ゆとりを持って前向きに取り組みたいと思っています。