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町を起こした道の駅

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年9月30日

町を起こした道の駅

千葉県町村会長 富浦町長 遠藤一郎

全国で「道の駅」建設ラッシュが続いている。道の駅が誕生したのは9年前であるが、毎年数十の駅が誕生し続け、この夏には701駅を数えるまでになった。

千葉県南部にある人口が6千人に満たない小さな町で、枇杷が特産の富浦町にも、町民が誇りとしている道の駅がある。「枇杷(びわ)倶楽部」(表紙写真)の愛称で親しまれているが、平成12年3月に行われた「道の駅グランプリ2000」で最優秀賞を受賞した。審査委員長から「平成5年にできた古くて小さく粗末な道の駅だが、地域振興の捨て石となる覚悟で、日々進化している」という、何とも不思議で素敵なおほめの言葉をいただいた。

粗末で小さいには理由がある。

道の駅の構想を持ちはじめたのは平成2年頃である。バブル経済が崩壊し、宿泊型の観光客は減少を始め、農産物の輸入が増加して町の基幹産業に暗雲が垂れ込めはじめていた。

このままでは座して疲弊を待つことになると、一念発起して事業化を決断した。役場内にプロジェクトチームをつくり「金は無いが創意工夫し、産業と文化の振興拠点、情報発信基地をつくれ。運営法人は絶対に黒字にしろ」と簡単明瞭に指示した。「厳しい命令だった」と当時の担当からは今だに言われるが、細かな指示をせず部下を信頼し不退転の決意で取り組んだ。

1番の課題は運営法人の経営であった。地域振興のための事業が赤字を出せば、赤字補填でかえって活性化を阻害してしまう。建設費を極力抑えて人材を投入し、システムやソフトを充実させれば、維持管理費や償却資産が少なくなって採算も取りやすい。集客力も強まり事業も永続できるはずだと踏んだ。

エコミューゼという活性化手法があると聞けばフランスに、NPOが過疎地振興に有効だと聞けばアメリカに、知識や手法を取り入れるために国内外を問わず躊躇なく職員を送り出した。仮設店舗を建てシュミレーションもさせた。この結果導き出されたのは『役場と町全額出資企業による複合体が、町内全域に事業を分散させて統合するシステムを動かし、活性化の孵卵器の役割を果たす』というものであった。この結果、一見すると複雑怪奇ではあるが、時代の変化についてゆけるシンプルで力強いシステムが構築できた。

日帰り観光客を誘致するために花、枇杷、イチゴの試験園を設け、県に研究員の割愛をお願いして、品種改良や栽培方式までも見直す観光農業のシステムづくりに取り組んだ。加工所では特産の枇杷を活用した加工原料づくりを行い、ジャムや缶詰、ソフトクリームなど40品目もの商品開発へと繋げた。

文化面でも、かつて自治大臣表彰をいただいた人形劇の振興拠点が道の駅であり、町内の誇りを掘り起こす探訪会や、地域で地道な活動を続ける方を講師に迎えた講演会を毎月続けている。併設されているギャラリーも予約で一杯の状況である。

様々な手を打った中で最も有効だったのは、地域の産物や食事会場を束ねて観光バスツアー誘致する「一括受発注システム」と呼ぶ仕組みの構築であった。このシステムは通産省の助成を受けて電算化され、インターネットにも接続されたことから、南房総への集客をねらった広域ポータルサイトの構築や、町内の情報化が一気に進む契機ともなった。

地域の理解やノウハウの蓄積に膨大なエネルギーを費やしたが、事業は順調に推移してくれている。80万人を越える観光客の誘致に成功し、運営法人は単年度黒字で累積赤字もなく、町民の1%を雇用し、町内への支払いは2億5千万円という優良な企業に育ってくれた。

こうした富浦町の試みは、過疎地の活性化方策として有効に働くと考えていたが、最近では開発途上国や国際機関からの関心も高い。将来、枇杷倶楽部に似た仕組みが国内外にできてくれれば、すばらしいことだ。