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 人と自然との調和をめざす町づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年6月24日

熊本県阿蘇町長 河崎敦夫

春の日、庭先から見ると、野焼きのため真っ黒になった阿蘇五岳が、青葉とともに活き活きとしてきました。昔から変わらない風景です。

昭和9年、未だ昭和の始めの頃の生まれです。47歳のときに阿蘇町長となるまでは、海釣りや猪(しし)打ちなどいろんな趣味をもっていました。

還暦を迎えた頃から興味を持ち始めたのがガーデニングです。今では30種類・百本を超すバラの花を育てています。庭先には烏骨鶏(うこっけい)・白矮鶏(けいちゃぼ)等珍種を30羽程養い、毎朝卵を取るのが何よりの楽しみです。ウサギが仲良く庭を飛び跳ね、池ではたくさんの錦鯉が泳いでいます。

南国九州にありながら阿蘇は大変寒さの厳しいところです。外輪山に取囲まれ、夏は涼しく冬は寒いところです。年間には400万人弱の方々に訪れていただいております。

そんな場所をバラの名所にしようと計画しました。花のある町づくりです。

町は、農業構造改善事業に取組み、温泉熱を利用したドーム型温室や野外のローズガーデンでは、年間を通して600種・8,000株のバラを楽しむことができます。しかしバラは難しい。香りがすばらしいイングリッシュローズを植えましたが、ツルバラがアーチを巻くのにも最低3年はかかります。この頃ようやくバラ園として出来上がってきました。

太古の昔から阿蘇山の噴煙が立ち上がり、遠く北海道にまで火山灰が降り積もっているとのことです。カルデラの中に溜まった湖を阿蘇の神、健磐龍命(たていわたつのみこと)が蹴り破って盆地ができたといわれるくらいの神話の町です。草千里ケ浜に代表される阿蘇の草原。緑の草原に爽やかな風が通りすぎる。阿蘇の風物詩のひとつですが、そんな草原も今後永久に維持することが困難になってきました。

先日全国草原シンポジウムが開催され、多くの意見・体験が発表されました。日本最大といわれる草原、阿蘇の自然は半分は「人工的」なものです。人と自然がうまく調和して維持されてきたものです。

春、新しい芽吹きの前、住民総出で山の野焼きを行ない、牛馬が若い草を食べやすくします。夏の間に野焼きの火が移らないよう境界を輪地切りします。秋は冬の間の飼料として、すすきなどの刈干し切りを行ないます。山の手入れをしないと、雑木が繁り、野ウサギが病気を運び、ますます人間が原野に入れなくなります。何百年と続いて今の原野が維持されていますが、全くの自然ではありません。水を守り、牛馬を養い、米を作りつづける者がいないと壮大な荒地になってしまうでしよう。

地元の内牧温泉は開湯百年を超えました。阿蘇を舞台に「二百十日」を書いた夏目漱石、阿蘇の自然や旅愁を詠んだ歌人与謝野鉄幹や夫人晶子、吉井勇、俳人高浜虚子、また外輪山の秀峰遠見ケ鼻を大観峰と命名した徳富蘇峰ら多くの文人墨客が来られ、映画やTVドラマ等の撮影も数多くありました。これからも観光地を守り、大勢の観光客に喜ばれる、憩いの地を目指していきます。

町村合併も大きな問題です。昔、昭和29年、私の父河崎義夫阿蘇町長が「阿蘇のナセル」と呼ばれていた頃は、歩いて30分くらいが合併する町の範囲として妥当と考えられていたようです。今は車社会なので車で30分くらいの移動範囲が妥当の範囲なのではないでしょうか。まわりの町村とじっくり協議していきたいと思っています。

この春六度目の町長選を終え、町村合併に向けて任期を精一杯粉骨砕身努力することを公約しました。阿蘇地域のリーダーの1人として住民の方々とこの神話に富んだ地域を誇りを持って守っていく努力をしていきたい。

花鳥風月の素晴らしさを後世の人々に伝えられるよう、自分でも「阿蘇での生活」を楽しみながら実践していこうと思っています。