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 昭和村の代名詞はからむし

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年6月10日

福島県昭和村長 小林悦郎

奥会津の山峡。人口1,900人足らずの小さな村には、古くから村人が守り続けてきたかけがえのない宝がある。

古代布の1つに数えられる苧麻布(ちょまふ)の素材となる宿根植物である。この表皮から抽出した原麻は、国内屈指の高品質を維持している。

昭和村では、背丈が2メートル近くにも伸びるイラクサ科の植物を、600年前の昔と変わらぬ手法で栽培してきた。薄くキラを湛えた原麻は、越後上布の高級素材として大正期を頂点に盛んに越後に届けられ、農家の1年を支える大きな現金収入を生んだ。隆盛を誇っていた時期の尊い換金作物は、感謝と敬意をもって今でも貴いままに守られている。

風を孕んで透ける白い布は、焼畑の黒い土の中から生まれてくる。蝉の羽のような繊細な布には不似合いな節くれだった手が、ひたむきに種を守ってきたのである。

昨年、昭和村にからむし工芸博物館が誕生した。からむしとの長い歴史が育んだ、昭和村の文化を象徴する精神的な拠り所である。ここを拠点に、今、住民の活躍の場が広がってきている。

繊維を取り出す「苧引(おひ)き」と言われる技術「苧績(おう)み」と呼ぶ糸づくりの技術、機織りと各工程を指導する高齢の技術者たちは、とりわけ村の小中学生達が真剣に学ぶ姿に勇気を得て、生き甲斐と誇りを蘇らせつつある。技術の継承はからむしを守るためばかりではない。一生の大半をからむしと共に歩んできた村人にとって、技術の継承は自らの人生の証でもあるのだ。

その意味ではからむし工芸博物館は、昭和村が保存すべき文化を明らかにして、継承の意味を考えながら新たな文化を築いていく場ともなる。村人の拠って立つ基層文化の調査は地道ながら続けられており、その成果は博物館の充実という結果をもたらしてくれるだろう。

そしてもうひとつの大切な使命は、日本の苧麻研究における重要な情報集積地としての機能である。  国内では、今だ苧麻の実体が明らかにされていない。すでに希少価値となった苧麻布(越後上布、宮古上布、八重山上布など)の流通が停滞しているため、背景となる歴史、植生、民俗などの総合的な情報が求められてきている。生産を即産業として成立させるのが困難な状況にあるとはいえ、苧麻情報を確実に発信できる日本で唯一の研究機関に成長すべく努力を重ねて行きたい。

開館を記念して行われた「アジア苧麻会議」は、多くの研究者や好事家を集めて盛況を呈したが、これは確実に世界を見据えた試みであった。

また、高齢化した伝統技術者達からの聞き取りや世界各国からの資料収集・調査は、村に移住した織姫体験生達が誠実に成果を積み上げている。

この努力こそが、長年からむしと深く付き合い、生涯を捧げて守り育んできた村人への恩返しであると考えている。

からむし工芸博物館建設を機に、村人が主役の様々な活動が活発になってきている。

後継者育成のための技術指導ばかりでなく、それぞれが思い思いのからむし関連品を持ち寄って開かれる「からむし市」は、中国、韓国の市と並んで、昭和村の風物詩となるに違いない。

からむしを核とした村民運動は、今後の昭和村振興の礎となってくれることだろう。