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 自然と文化につつまれて「ゆとり生活創造都市きやま」の実現に向けて

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年5月20日

佐賀県基山町長 天本種美

基山(きやま)町は、佐賀県の東端に位置し、福岡県(筑紫野市・小郡市)、鳥栖市に接する面積22.14平方キロメートル、人口19,000人の町です。古くから古代官道や長崎街道が町域を通り、現在でも国道3号線、JR九州、九州縦貫自動車道が縦走するなど交通の要衝地として発展してきました。

また、本町には、日本最古の朝鮮式山城の「基肄城(きいじょう)址」があります。これは、天智2年(663年)朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)の戦いの後、太宰府を中心とした北部九州防衛の拠点として築城されたもので、本町の町名の由来となった、基山(きざん)の山頂にあります。

本町は、地形的に山林原野と農地宅地等がほぼ半々で、緑豊かな環境に恵まれております。

私は、昭和59年2月に町長に就任して早くも18年が経過しましたが、今期残された期間は2年間で、この期間を全力を挙げて町政発展のため邁進したいと思っております。

そもそも、本町の人口は9,500人位であったものが、現在では19,000人となり、ここ30年間では約2倍となりました。

このような人口急増の状況の中で、町政対応はどうあるべきかを大きな課題として、これまで取り組んできたところです。

この対応策として、昭和48年に都市計画法に基づく町づくりを行うことにしました。

当時、町村段階では都市計画法の適用をして町づくりを行っているところはほとんどありませんでした。しかし、本町においては、いち早く都市基盤を整えるべきであるという考えから、このような町づくりに踏み切ったところでございます。

更に、昭和50年には、本町の将来のあるべき姿を考えた総合計画書を策定しました。

その当時の総合計画書に基づく都市像は「ゆとりのある生活都市」としております。

これは、これまでの農業中心の基山町を、産業構造の変化や福岡都市圏の影響に対応できるよう策定したものです。即ち、今後は福岡都市圏におけるユニークなベッドタウンとしての位置づけを考えていこうというものでした。これは、急速に発展する経済情勢や急速な都市化により新たに流入した都市生活者と従来のおっとりとした村落生活者の調和の必要性を捉えたものでした。

つまり、魅力ある町づくりとは、町の中に生活する住民のかもしだす美しい人間関係からにじみ出てくるという考えに基づくものです。

そこで、個人と全体の調和を図り、他人に迷惑をかけることなく、1人1人が自分とは何かという認識を通して自己実現を図り、また、互いの個性を認め合い、その個性と個性の出会いと交流によってお互いに生きる喜びを分かち合うことができるという考えに基づくものでした。

現在、本町は、人口急増に対応した行政施策としての都市基盤もおおよそ整いつつあり、本町の将来に向けての都市像は標題に掲げているように《自然と文化につつまれて》「ゆとり生活創造都市きやま」と題した次第でございます。

これは申すまでもなく、これまでは人口急増に対しスプロールのない秩序ある町づくりを行うため、道路網の整備なり公共施設の建設に全力を挙げてきたところでございますが、そろそろ都市基盤も整いつつあり、これからは自然との共生を考え、文化の薫りの高い町づくりを考えようとしたところでございます。

そこで、町づくりの基本理念として、「心豊かな美しい人間関係の創造」と「自然と共生した都市魅力の造形」の2本の柱を立て、明るく豊かで住み良い町づくりを目指して懸命の努力を続けているところであります。