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 「名水と海洋深層水のまち」入善町

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年4月22日

富山県入善町長 米澤政明

入善町は富山県の東部にあり、清流・黒部川によって形成された日本を代表する扇状地上に位置する。扇状地の壮大かつ見事な造形は、扇頂部から海岸まで13.5㎞、扇の角度60度という日本一の規模を誇る。北は日本海に面し、南に雄大な北アルプス連峰を臨む人口約2万9千人の町である。

本町を特色づけるのは「水」である。黒部川の水は扇状地の中を伏流水として流れ、先端部で湧水となって自噴する。この水は、「黒部川扇状地湧水群」として全国名水百選に選ばれ、湧水群の1つである「杉沢の沢スギ」は、国の天然記念物に指定されている。

水にひかれて、企業が進出

このような良質で豊富な水にひかれて、古くは昭和10年に東洋紡績(株)、39年に自動車部品製造のアイシン新和(株)、47年には富山日本電気(株)などの大企業が進出した。

最近では、平成6年にアサヒビール(株)が幾多の候補地から、きれいで良質な水が豊富にあるとのことから、本町を選び進出した。今のところ、製造しているのは缶ジュースや缶コーヒーのみだが、将来はぜひともビールの生産にも手を伸ばしてもらいたいと願っている。

入善海洋深層水で地域の活性化を

さて近年、海洋深層水は無限の可能性を秘めた水として全国的に注目を集めているが、入善町では、昨年暮れに海洋深層水取水施設を完成させた。現在、県内外の企業や個人の人々が深層水を求めて施設を訪れ、連日賑わっている。

日本で初の深層水を利用したアワビの養殖事業など水産業の振興に利用するほか、各種食品や健康飲料水、化粧品などの商業・産業面、あるいは、農業分野や医業、バイオなど活用範囲が広がるものと考えており、今後、地域活性化を図る新たな資源として、大きな期待を寄せているところである。

特産物もいっぱい

さて、本町を語るには、農業を抜きにしては考えられず、特に、良質米コシヒカリは「つぶぞろい」という名で市場に出回り、消費者からも非常に評価が高い。昭和30~40年代にかけて、いち早く圃場(ほじょう)整備事業に着手し、優良農地化を図ったことから、水稲作においては県内一の収穫量を誇るまでに至った。

また、チューリップ球根やスイカの栽培は、入善町では伝統的な商品作物として古くから取り組まれている。中でも、明治年間から手がけている「入善ジャンボ西瓜」は、黒部川扇状地の豊富な伏流水に恵まれた入善ならではの特産物で、スイカ一個の重さが平均20~25kgと、日本一大きなスイカとして全国に知られている。

「扇状地にひと・くらし・輝くまち」に

このように、私たちのまち入善町は、日本に誇る黒部川扇状地を礎に、農工一体のまちとして発展を続けてきている。

21世紀を迎えた今、急速に進む少子・高齢化、地球規模での環境問題の深刻化、情報化の進展、そして、出口の見えない経済情勢、加えて、地方分権社会への対応、市町村の合併問題などさまざまな課題が山積している。

このような状況を踏まえ、町では昨年4月から「扇状地にひと・くらし・輝くまち入善」を将来像とする新しい総合計画に基づき、町政の推進にあたっている。

いずれにしても、私どもは時代の潮流を踏まえながら、明日の我が町のあり方を探り、勇気と英断をもってこれからの町づくりに取り組まなければならないものと考えている。

終わりに一言。日本全体が閉塞感に包まれているが、やはり、受け身の姿勢では活性化は望めず、地方はますます埋没化していくものと思う。常に「何かに挑戦する」という攻めの姿勢で町づくりにあたりたいということを付け加え、擱筆(かくひつ)したい。 佐呂間町はオホーツク海に面し、日本で三番目に大きいサロマ湖(常呂町・湧別町の両町に隣接し、面積150平方キロメートル)を有し、主産業は農業・漁業、そして今は低迷しているが林業を中心とした第1次産業の町である。

人口は、昨年の国勢調査では6,666人、昭和28年の16,801人、当時から比べると約1万人の減少という過疎指定地区である。

本町の歴史は、明治27年にアイヌの人達が住んでいたこの地に半農・半漁を営むべく、青森より和人が定住したときから始まった。

現在、農業は年間を通して安定した収入が得られる酪農が中核となっており、乳牛約10,600頭、肉用牛約11,000頭が飼育されている。

昨年の9月11日、ニューヨークの貿易センタービルがテロリストによって破壊され、世界中を震撼させた翌日、新たに衝撃的なニュースが突然、我が町に飛び込んで来た。

佐呂間町生まれの牛が、千葉県において牛海綿状脳症(BSE)の疑いがあり、精密検査をしているので調査に協力して欲しい旨の連絡が家畜保健所を通して入った。その時、すでに報道機関では、天下の一大事とも思えるような取材活動が始まっていた。

私は今、町長職として4期目、13年間務めているが、元来は経済動物を主体として診療していた獣医師であったこともあり、BSEの恐ろしさは充分に認識していたが、大変な事態が起きたことに対する心配とある面では、とうとう来るべきものが来てしまったのかとの思いが脳裏をよぎった。

思えば一昨年の3月、宮崎県に、5月には北海道の本別町に、牛の口蹄疫の発生をみた。その時日本の畜産界は大きなショックを受けたが、幸いにも迅速にして適切な対応によって広範囲への蔓延を防げたことは、他国で発生した時に比べると、被害はまさに奇跡的とも思える程、最小限であった。しかし、その原因は未だ明らかではなく、中国、または台湾から輸入した稲ワラか麦ワラに口蹄疫のウイルスが付いて来たと言う説が主流となっている。

さて、今回のBSEの問題については、昨年の10月18日以降は、と畜場において全頭検査がなされ、全く安全な牛肉が市場に出回っているにもかかわらず、消費の方が遅々として伸びず、いつになったら発生前の状態に戻るのか予測のつかない現状にある。BSEの問題は想像をはるかに超える大きな被害が全国的に広がってしまった。そしてBSEに感染した牛が出た町村においてはあらゆる風評被害が出て、他の産業にも大きな影響を及ぼしていることも事実である。

今の日本の畜産における飼料の大半は諸外国からの輸入に依存しているのが現状である。食糧にしても家畜の飼料にしても、安全性を最も重要視しなければならないにもかかわらず、収益性のみを追求してきた結果がこのような事態を招いたものと思う。更に、過去において使用されていた牛用の配合飼料や代用乳には、BSEに感染していた疑いのある牛や羊の肉骨粉が使われていたと言う。このことは本来、牛は草食動物であるにもかかわらず仲間の肉骨粉を知らずに食べさせられ、いわゆる共食いを強いらされていたのであり、この行動は神様が自然界で生きる動物に対して定めた掟を冒したことになるのである。

したがって、今回のBSEの発病は物言えぬ動物が自らを犠牲にして、我々人間に警鐘を鳴らしたものと受け止めなければならないのであろう。

日本の食糧自給率は、カロリーベースで40%と世界の先進国では最低のランクである。故に、少しでも安価な食糧を輸入しなければならない国情は理解できるが、神の掟を無視することは人間のエゴそのものである。

近年、日本全土において国における諸々の農業政策のもと、作物が栽培されずに放置されている農地が増加の傾向にある。もともと国内の農地を有効活用することによって、安心で安全な食糧の自給率の向上を図ることは可能なのである。

古い中国の仏教書の中に身土不二(体と土は1つ・人間は足で歩ける身近なところで育った物を食べ生活することが良いの意)の悟りがある。

BSEの発生により、地産地消への再認識が高まることを期待し、また努力して行きたい。