ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

 人生雑感

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年1月28日

栃木県町村会長 烏山町長 岩崎義一

生きるっていいね
うれしいもん

生きるっていいね
楽しいもん

生きるっていいね
友達できるもん

生きるっていいね
とってもいいね

生きるっていいね
未来がつくれるもん

小学校4年生の詩が新聞にのっていた。

生きることの真髄を教えられたような気がする。

うれしく、楽しく、多くの友達をつくり、自分の人生の目標への道を自ら作り歩いてゆく。

これが人生であり、人の生きざまではなかろうか。

私達の人生はうれしいこと、楽しいことの少ない人生であると思うが、雨の日に雨を楽しみ、晴れる日に晴れるを楽しみ、楽しみなき時を楽しむ。その時その時の状況にさからわずに、それを自分のものとして楽しみ、且つ、楽しみなきときに楽しめるような人間に、そして人生にすることこそ大切であると思う。

人生50年と云われた時代を生きて、何時とはなしに古希を迎える。

70年の人生の中で先人の皆さんが守り育てて来た良き伝統、風習、習慣が消え去ろうとしており一抹の淋しさを感じている。

生活の智恵として伝えられたのか、子供の頃父母に教えられたことの1つに、上の歯がぬけた時は縁の下に、下の歯がぬけた時は屋根にと。

今近代的な家屋となって、縁の下もなくなりつつあり、昔日のわら屋根や杉皮葺きの屋根もなくなり、ぬけた歯の行く場所がなくなっている。

傷の手当、下駄の鼻緒の切れたときの代用の役割を果たし、生活に密着していた手ぬぐいが、そして風呂敷なども消え去ろうとしている。

物を大切にする風習も経済的に豊かになり消えてゆく。

物質的に豊かになると、心の豊かさや思いやりの心は逆比例をしてゆくものなのだろうか。

物の豊かさは、物指しや計数で量り且つ整理することはできるが、心の豊かさや思いやりの心は量り得るすべはない。

心の豊かさや思いやりの心は、広くそして無限であるからである。

私達人間だれでも2つの手をもっている。

右の手、そして左の手である。

右の手が自分自身の幸せをつかむ手であるならば、残された左の手は、温かい思いやりの心を手のひらに乗せて多くの人々へ差し出す手であってほしいと願っている。

人間だれでも自分が1番可愛いのです。

自分自身が努力をして幸せになることは大切なことです。その幸せを右の手でしっかりとつかみ取り、左の手は思いやりの心を多くの人へ運ぶ手として使っていきたい。

自分自身にとって良い1日1日が多くあった年はすばらしい1年であったと云う感覚が生まれてくるものである。

良い1年とは良い1日1日が多く集まって作りあげられることを肝に銘じ、1日1日を大切に、うれしく、楽しく、多くの友達をつくり、右の手と左の手の役割を大切にし自分の人生の道を歩いてゆきたい。たった1度しかない人生だから。