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 町村会長の職務を果たして思うこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年5月28日

鹿児島県町村会長 鹿島村長 尾崎嗣徳

記・紀や類聚国史に隼人のことが記載されています。その隼人には、阿多(あた)隼人・大隅(おおすみ)隼人・甑(こしき)隼人があり、それらを総称して薩摩隼人と言われ、4、5世紀から9世紀にかけて朝廷にまつろわぬ輩として平定され、以後服属して宮廷警護の任に当ったと、言い伝えられています。それらは、われわれ鹿児島人の遠い遠い祖先の話であります。

我が祖先甑隼人の発祥地である甑列島は、九州西南、鹿児島県の西方海上に位置し、北から上・中・下甑の3島とその附近の小島から成っています。

この列島には4つの村があり、鹿島村は、下甑島の北端に位置しています。わたし達はここが離島僻地だからと言って、村から逃避することなく、幾世代も連綿として居住し、こよなく郷土を愛し、日本の国土を守り育てて来たという自負と誇りを持っています。

私はこの小さな僻村の首長として在職26年、県内82町村の会長に選任され、これまで多くの方々から、公私ともにいろいろな事を学び、支援されながら人脈も広がり、ここに会長職の大任を全うしつつあることに有難く感謝している今日此の頃です。

顧みて、現在までの行政の足跡を幾つか紹介いたします。それは、①役場新庁舎落成(平成11年6月)、②特別養護老人ホーム鹿島園落成(平成12年12月)、③交通死亡事故ゼロ19,000日達成(平成13年4月7日→現在20,000日を目標に更新中)、④村活性化の1つとして漁村留学制度(今年度で6年目、延人員10名を受け容れる)、⑤下水道完備(昭和61年)、⑥港湾・道路等、その他箱物の建設、⑦社会的習慣形成(道中禁煙)や毎月の村民清掃のボランティア等々、数えれば限りがないが、これらの中の1つだけ取り上げますと、特別養護老人ホーム鹿島園の開設です。

建設に至るまで、国や県に数年がかりの陳情と理解を頂くために、関係機関へのお百度参りのお願いと説明を繰り返し、大いに汗をかきましたが、遂に念願が叶い実現の運びに至った時は、無上の喜びにうち震えました。

いよいよ平成12年4月から介護保険法の実施に基づき、社会福祉法人鹿島村社会福祉協議会に運営を委ね、施設長以下23名と臨時職員数名で、入居者30名への介護・介助のサービスを開始しました。

小さな村に大きな夢が実現し、贅を尽くした最新式の施設・設備の中で、スタッフの真心のこもったサービスにより、2年目を迎えていますが、何処にも負けない園となり、経営も軌道に乗っているところです。

私の施政方針の1つである村民福祉の向上は、過疎と高齢化率の高い本村に生まれ育ったお年寄の老後を安心させ、安全なターミナルケアとしての施設の役割を果たすことです。

時折、園を訪問して入居者1人ひとりに生きる希望と喜びを持ってもらうよう声かけをしますが、皆さんは心から喜んでおり、職員の親身にまさるサービスに満足し、合掌している姿に接する時、5年後10年後の自分の姿と重ね合わせてしまい、今まで汗を流した甲斐があった。これで思い残すことは無いと感慨に浸ってしまいます。

介護制度を創設した国や県の指導のお蔭を痛感していますが、他方介護制度には、様々な問題も抱えており、今後の改善と充実が期待されています。それには我々当事者としても更なる努力を要しますが、本村鹿島園は、ますます真心と献身的なサービスを提供できる特養に成長していくと、信じています。

最後に、当面私がなすべき事は、広域市町村合併と長年の懸案である藺牟田(いむた)瀬戸架橋の実現への糸口を設(こしら)えることです。これらを残された人生の総仕上げだと自覚し、執念を燃やして行きたいと思う昨今であります。