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 二十一世紀の偉大な田舎、ヒューマン・カントリーをめざして

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年2月26日

北海道新篠津村長 加賀谷強

♪遠い山並み朝日に映えて(ハァーソレソレ)萌える緑の石狩平野…この地拓いて100年越えて、夢が広がる新しのつ♪

これは平成7年に開村100年を記念して、公募の中から若者の作詞を選び、高等養護学校の教員が作曲し、振り付けをしてくれた“新篠津100年音頭”である。

初当選してから、住民参加の街づくりを進めようと「ふれあいの里新篠津」をキャッチフレーズに、コミュニティ活動で心を1つにすることは「祭り」からと、新篠津音頭をつくり、村民総出の参加する祭りは“青空まつり”と名付け、それが前記音頭に引き継がれて22回を数え、すっかり定着をした。

8月下旬に行われるこの祭りは、豪華な餅まき後の夕方、歩行者天国となったメーン・ストリートを、自治区、職域それぞれが趣向を凝らした山車十数台を従えての踊りは、コミュニティの集大成であり、近年、北海道で人気の高い“よさこいソーラン踊り”のグループをはじめ、小、中、高生や隣町の大学生たちがパフォーマンス巧みに参加し、住民と一体の“ふるさとの祭り”として成長をした。

新篠津村は、札幌市から北東に約50kmの一丘もない石狩川の右岸に広がる平地農村で、主たる生産物は、米、麦、野菜、花卉などで、スポーツや、青年活動が活発な、しかも、道交う人々に挨拶をする、清々しい小、中学生のいる、和やかな田舎である。

平成3年に広大な石狩川の河川敷をお借りして、温泉つきのゴルフ場をつくり、セクターで運営をしている。

そのあと少々グレードの高い(と思っている)宿泊研修施設を増設したが、それまで入り込み人口ゼロであった村が、今では年に35万人を超える。その多くは札幌市の方々であるから、札幌の方に足を向けては寝られない。

1区画150平方mの家庭菜園はパークゴルフコースを隣接したこともあって、120区画がほぼ満杯で、休日には家族で菜園で汗して、パークゴルフを楽しみ、温泉に入って村の特産品を手にお帰りいただく方は、延べ2万人に達している。この利用する方々も札幌市をはじめとする近隣の街の人達である。

特別養護老人施設(定員135)及び高等養護学校を含む知的障害の人達の3施設は、街の中心部にあり、健常者と或いは就労の場に於いても、何の違和感も無い。施設の行事には一般の人達は勿論、小、中学生が出入してノーマライゼーションそのものである。

21世紀は少子高齢化とともに、IT革命、環境の時代ともいわれている。

今や都会から農村へ、終いのすみかを選ぶ時代であり、選ばれる時代であると思う。

都会の人々の求める人情味豊かな田舎、ヒュマンカントリーになろうと、村人とともに取組み、少しづつで21世紀は、お年寄りの方たちが、安心して楽しく暮らす“田園福祉の里”づくりの構想を練っているところである。

時あたかも、地方分権の推進と市町村の広域化いう錦のみ旗のもと、合併問題が押し寄せて、自主的といいながら、何かを振り翳して強制ぎりぎりではと思ったりもする。

北海道は、昭和の大合併で中心地以外栄えたところはない。であるから地域として残るために為すべきことがあるのではなかろうか趣旨には理解をするものの、もう少し余裕をもって進めてはいかがなものと考える。

このことは、新世紀初頭の大課題であることを念頭におきながら、更なる人情味豊かな偉大なる田舎づくりに汗を流したい。

外は一面の雪景色である。石狩川のショートカットでできたしのつ湖と称する三日月湖は、今日も札幌方面からの、ワカサギ釣りの人たちで賑わっている。