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 大型店で″元気″な町に

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年2月12日

山口県阿知須町長 飯田宏史

ことし7月に第3回全国難読町村サミットが山口県で開かれます。引受けは由宇(ゆう)久賀(くか)阿知須(あじす)の3町です。この難読サミットは、地域の発展はまず地名を売り出すこと。そのためには地名を正しく読んでもらおう。交流もしようというのが趣旨です。提唱は島根県の温泉津町(ゆのつちょう)です。これまでのサミットには20余の団体が参加されていましたが、今回はジャパンエキスポ「山口きらら博」=21世紀未来博覧会協会主催・7月14日~9月30日=の会期中に開催されること、また、博覧会場の本町が一昨年、全国町村会から優良町村として受賞したこともあって研修視察の問い合わせも多く、サミット参加者はふえるものと予測しています。

そこで、本町の概要をご紹介しますと、まず地名ですが、昔、海辺に小鴨(あじ)がたくさん群れ遊ぶ洲(す)があった。その付近の地域を「あじす」と呼んだことに始まると伝えられています。「須」は砂の意味です。

位置は県都山口市と工業都市の宇部市に挟まれ、瀬戸内海に面しています。面積は25.49平方km。全域が標高10メートル未満です。

臨海部は町総面積の約11%を占める干拓地があります。当初は農林干拓として造成されましたが、のちに多目的利用地に変更、13年前に県土地開発公社が国から買い受け、現在に至っています。博覧会はこの一部で行われます。内陸部は住宅地・商業地、農地・農業集落と続き、一番奥地は林野部です。この中に宇部72カントリークラブのゴルフ場4コースがあり、その面積は町の約10%に当たります。

交通面はJR宇部線の駅が2つ。新幹線小郡駅まで約15分です。山口宇部空港(東京、札幌便)まで町内どこからでも約20分。道路は「山口県の道は阿知須に通じる」といわれるほど自動車道、国道、県道とも整備されています。小学校2校、中学校1校、医療機関は民間の総合病院が2つあります。

町の中央部に大型商業施設があります。町が4分の1出資した「阿知須まちづくり株式会社」が管理運営し、駐車場は2千台分を用意し5年前に開業しました。これを契機に民間による宅地造成、事業所の進出がふえ、この5年間の商店・事業所・人口の増加率は県下一、住宅地の地価調査も上昇率山口県一となっています。こうしたことから、博覧会景気と合わせて「いま、県下で一番元気のある町」との評価を各界からいただいています。

ちなみに、私は少年飛行学校を終えて間もなく終戦。その後、町職員、助役、町議を経ていま町長4期目です。最初の立候補の公約には「第三次産業の振興」を掲げ、大型店の誘致に取り組みました。当時は企業誘致が合言葉の時代でした。私は「工業団地は隣りの山口市や宇部市にたくさんある。その従業員を本町で用意しよう。住宅も、人もふやそう、そのためには買い物が便利であることが必須の条件」と考えました。

大型店の認可の際は県の担当者から町の人口が少ないことを理由に反対されましたが、周辺の市町を合わせると50万人の商圏になること、国内に大型店の波が押し寄せようとしていること、半端なものでは万一、大きな店が出来たら押しつぶされることなどを主張し、ようやく認めてもらいました。結果は、町内の商品販売額が約3倍の150億円、また町内での購買割合は30%弱が68%(平成9年)に伸びました。これには町や周辺の状況、さらには将来を見越しての情況判断ができたからだと思っています。

孫子の兵法には「彼を知り己を知らば百戦危うからず、彼を知らず己を知るは1戦1敗す、彼を知らず己を知らざるは戦うごとに危うし」とあります。飛行学校時代に学んだことを心して、情報収集、分析、的確な判断をもって事に処したいと努めている日々です。