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 小学校時代の思い出に寄せて

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年1月15日

小学校時代の思い出に寄せて

和歌山県すさみ町長 桂功

私は、毎日早朝に歩くことを日課にして、それを楽しんでいる。私なりの心身の健康法である。以前は専らジョギングで、出張先でもバッグに入れて来たシューズを履いて宿の周辺を走って汗を流した。

「継続は力なり」で健康と体力の維持に有効であったが、今は朝の清澄な空気を吸いながら、ゆったりとした気分で幼い頃から馴れ親しんできた風景の中を歩き、時には佇んで山々を眺めたりしている。

「ふる里の山に向いて いうことなし ふる里の山はありがたきかな」と石川啄木は歌っているが、私も自分を育んでくれた故里に感謝し、郷土を愛した先人たち、子どもの頃のこと、戦死した級友のことを追憶して感慨にひたったりしている。

私は、大正13年の生れ、小学校入学は、昭和六年春、9月には満州事変が起こり、「非常時来たりわれらが国に」という歌が歌われ、軍国調の波が高まり、小学校卒業の昭和12年夏には、日中戦争が勃発してそのまま太平洋戦争へと続いて行った。

「20世紀は戦争の世紀」とも言われるが、私たちはそういう時代に小学校生活を送った。それでも、学校は結構楽しかった。学校でみんなと遊ぶのが楽しかった。時代の反映か地域の子ども達は、野山で戦争ごっこに夢中になったりした。とに角、子どもは外で群れて遊んだ。上級生は下級生を世話し、下級生は上級生になついた。その中でふれ合いが深まり、もまれながら逞しく育ったように思う。

生活が豊かになった現在、群れて遊ぶ子どもの姿が余り見かけなくなったは淋しい。当時はどの家も子どもが多く、弟妹の守りをしながら遊んだ。私も幼い弟を連れて遊びに行った。

親からもらった小遣いで近所の菓子屋でグリコのキャラメルをよく買った。おまけの楽しみがあった。それを持って弟の守りをしながら同級の親友岸健司君らと近くの川などでよく遊んだ。岸君は体格のいいスポーツ万能の元気な少年だった。彼も小さい弟を帯で負ったりしていた。岸君は、昭和20年戦艦大和と共に南の海に散華して今日の平和の尊い礎となった。

子ども達は、家の手伝いもよくした。私の父は酒類販売や木炭問屋をしていたが、小学2年の頃から配達に行かされた。

「手伝いかい、えらいなァ」と地域の大人からよく声をかけられた。こうして子ども達は子守りや手伝い等で家族とふれ合い、地域の中でふれ合って育ったのである。

今の日本は、豊かになり、子どもは物に恵まれ学校も随分整備され、先生方も熱心である。ところがどうしたことか、不登校の子どもが全国で10万人以上もいるという。最近では、17才の少年達のショッキングな事件も続出した。どうしてこんなことになったのか、どうすれば良いのかと思うことしきりである。

自分の子どもの頃と較べてみると、高度成長下の現在の社会では、家庭や地域での人間的ふれ合いが稀薄になっている。

核家族、家庭で中学生の子と父親の会話は、1日平均30秒しかないということがそれを端的に物語っている。

そうであるならば、家庭や地域でのふれ合いスポーツ活動や読書音楽など、文化活動でのふれ合い、自然とのふれ合い等が誰でもいつでも主体的にできるように行政が意図的に手立てをして、住民のみなさんと共に取り組む必要がある。こうした人々とのふれ合い体験の諸活動を通じて子どもの心は豊かに耕されて行くものであると考える。

これは取りもなおさず、生涯学習、生涯スポーツの振興による郷土の特色を生かした心豊かに元気に生きる町づくりに努めることである。