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 ゴミ処理考

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年10月9日

鳥取県郡家町長 和田哲也

昭和32年3月、町村合併により郡家(こおげ)町が誕生した。面積84.84平方キロ、世帯数2,015世帯、人口11,509人、主産業は農林業(米・梨・柿・畜産)を主体とした純農村の町であった。

爾来43年余り、町の姿は大きく変貌し今では世帯数は2,700世帯を超え、人口10,300人、各般に亘る施策の中で私の心に強く印象づけられてきたのがゴミ処理問題であります。

昭和42年清潔で衛生的な町づくりを目途に特別清掃地域を指定し環境衛生の向上をとゴミ焼却場が稼働したのが昭和43年5月、激動する社会の中で消費生活は向上し、増大するゴミ処理に対処するため、隣町と協議を進め3町で一部事務組合を設立、新施設での焼却をはじめたのが昭和50年10月、旧施設は、多額の借入金を残したまま7年余りで閉鎖し高い煙突だけ先年まで聳えていた。

助燃材と重油での焼却処分は環境問題が心配されるところとなり、排出されるガス・水処理を完備し、環境汚染をはじめ公害の心配が無く、又そのような疑いのもたれないような施設の建設に取り組み、新たに1町を加え4町が一丸となり紆余曲折を経、一酸化炭素・排ガス温度・ばいじん濃度等々いづれも排出基準値を下回る新施設が予定より3年近く遅れて完成、試験運転を終え稼働をはじめたのが平成6年6月、全てがコンピューターにより管理され、日量34トン(8時間運転)の処分可能、この大型で完全無欠の施設に『やずクリーンセンター』と命名し、関係者一同盛大な竣工式を催し、安全且つ完全な操業へ向けての前途を祝した。

当時の計画収集人口30,000人、定期的に焼却灰を含め排ガス等の濃度分析結果と基準値の比較を公表し、適格な管理のうえに平穏無事に処理を続けてきた。

ところが、平成8年頃より「ダイオキシン」「ピコグラム」「ナノグラム」など聞き馴れない言葉が登場、関係地域住民はもとより環境問題に対する関心度は一挙に高まると同時に、平成14年12月施行の恒久対策基準に合う施設改造に取り組む必要が生じた。

一方では、国の指針に基づくゴミ処理広域化が本県でも取り組まれ、1市14ヶ町村約25万人の処理を、完成目標平成20年度として取り組む傍ら平成14年12月施行の恒久対策基準に合う施設改造に5億円に達する設備投資を要し過日の組合議会で予算を可決。

加えて同一郡内老朽二施設を閉鎖し合せて処理することとなり、周辺地域を含めた関係住民の合意を要するところとなる。頭では理解できても口先では「合意」に至らないところに今日の廃棄物処理の難しさがある。何故、自分達の地域が精神的苦痛を含め犠牲を強いられるのか、全国共通の課題が小さな町にも波及してきた地方行政。

全体の福祉の為に、皆んなの幸せを願い、何処かで処理を、大らかに構え、自分達の住む環境を守り間違いの無い地域社会を次代に残して行こう、30数年前ゴミ処理に取り組み、両手を挙げて理解が得られた古きよき時代を偲ぶとき隔世の感を覚え、うたかた一入の気さえする。

地方分権が進み、市町村合併の動きが現実化しつつある今日、40数年前、村役場の職員として町村合併を体験し、合併後の新町建設計画の樹立に参画、執行に携わった1人として、再び自らの住む町の進むべき決断を求められる日が近づきつつある昨今、歴代の町長を中心に町民が一体となって歩んだ町勢に思いを馳せるとき、ゴミ処理同様、周辺町村目まぐるしい変遷の途につくのだろうか。