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 上海市・嘉定区の藤公園

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年8月28日

上海市・嘉定区の藤公園

岡山県町村会長 和気町長 藤本道生

西暦2000年の今年も、和気町藤公園の百種類、150本の藤の花は、白・ピンク・紫の色もあざやかに、長さを競い、芳香を放ち、雅を満喫させて、来園した10万人の人々を魅了しました。

この公園は、私の町・岡山県和気町で生れ育ち、奈良時代・平安時代初期、弓削道鏡事件の解決をはじめ、桓武天皇のブレーンとして平安遷都を断行、最澄・空海の外護者となって宗教改革を行い、弘文院を創設して教育をすすめるなど、その時代の政治家として大活躍した、和気清麻呂公の生誕1250年を記念して作ったものであります。

ところでこの和気清麻呂公顯彰事業としてもう1つ平成元年に始まったのが、中学生の「平成の遣唐使」でありました。この事業を進めるために、私は1987年中国に渡り、上海市嘉定県との交流を始めました。

嘉定県の女性の副県長周麗玲さんと、外事弁公室の主住陳福明さんは、我々の計画を理解し、熱心に交流を進めてくれました。

第1回の「平成の遣唐使」が海を渡ったのは、中学生男・女5名ずつ10名で、希望者が多いので抽選で決めました。中学生たちは、初めての海外交流の経験に大きな感動をおぼえて帰国し、計画は大成功でありました。

その後人数をふやし、今では16名を毎年派遣しております。嘉定県の方からも、毎年、嘉定県人民政府の幹部が約1週間の日程で来たり、農業研習生や外事弁公室の職員も1年間の勉強に来ています。和気町からも、議員さん、町職員をはじめ、各種団体の皆さんが、毎年交流に行っています。

1996年には姉妹都市縁組が成立しました。

今では、和気町の人々と嘉定区(人口50万人、県から区へ昇格する)の人々は、よき友人として、本当に親密な付合いをしている人が多く、お互いの行き来も、だんだんと密になっています。

1996年、交流10周年の記念事業として、私は、上海嘉定区に、藤公園を作ることを提案しました。アメリカのワシントンのポトマック河畔の桜が、日米親善のシンボルとなって一大観光地になっているように、上海の藤の花が、日中友好のシンボルとなるように、日本の藤を中国で育てることを提案したのです。

嘉定区の周副区長は、人民政府で意見をまとめ、実行することがきまりました。すぐに公園の用地はきまり、日本庭園様式の池を堀り、廻遊式の巾10米、長さ400米の立派な藤棚ができあがりました。

私は、和気町の藤公園の中で、特に長くて、美しいものを選んで、野生の藤に接木をし、30種類120本の苗を作り、1998年3月、嘉定区の藤公園に植えました。嘉定区では、管理の職員を常時3人配置しました。

1年たった昨年2月、嘉定区藤公園へ行ってみてびっくりしました。上手な管理で、思ったより大きく育っているのです。又、公園は、もみじや桜、その他の木々が植え込まれ、すっかり日本庭園を思わす風情となっていて、新婚の記念写真を写すカップルの姿もありました。

2年目にはずい分、枝が伸びて、幹も太くなりました。3年目の今年2月に管理の指導に行ってみると、かなりの花芽がついておりましたので、周副区長に、「今年の4月下旬に藤公園の開園式をやりましょう。」と提案しました。まだまだ充分な花はつけないかも知れないが、彼女が今年の10月に、定年を迎えることを聞いたので、現職である今年に開園式をやってあげたいと思ったからです。彼女の思いも同じだったようで、早速準備に取りかかることになりました。

4月25日、和気町からは、日本舞踊の同好会のメンバーが20人程参加して、中国の子供達や、伝統の中国舞踊と共演することになりました。開園式の当日は、天気もよく、上海市の幹部を迎え、大勢の人出でにぎやかでした。長い花房・白やピンク・紫の、今まで見たことのない日本の藤の美しい花を見ている中国の人々の笑顔の中に、日中友好の本当の姿を見たような気がしました。

私は今、この上海嘉定の藤が、ワシントンのポトマック河畔の桜と同じように、中国・上海の、いや世界の名所として、育ってくれることを夢みているのです。