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 ロマン半島へと

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年7月31日

ロマン半島へと

青森県町村会長 川内町長 菊池繁安

「海の中に突き出して、三方が山で囲まれた陸地」。広辞苑によれば、半島とは、そのように定義付けが為されている。

『下北半島は斧のかたちをしている。斧は、津軽一帯に向けてふりあげられており、今、まさに頭を叩き割ろうとしているように見えるのが、青森県の地図である……』と、寺山修司は語っている。

下北は、本州の突端、北の果て。斧の柄の部分にあたる長い海岸線を奥へ奥へと進み、そこからまた先へ先へと進むと、突然に視界が展ける。

断崖、絶壁。潮がうねり、風が吹き荒ぶ。容赦なく降りつのる雪……。このように書きたてると暗いイメージで一杯になってしまうのだが、初めて下北を訪れる人は、思ったより明るいあっけらかんとした様子にとまどう、と聞いている。

あまりにも有名な、日本三大霊場のひとつ、恐山。白く乾いた土の上で、ピンクの風車がカラカラと音をたてて回る。霊場につきまとう暗さを期待して来る人は、その期待を見事に外されるらしい。下北に住む人間たちは、その生を終えれば、宗派の別なく皆そこに集まると信じている。おおらかで、気持ちよい。

人間だけでなく、この半島に生息する生きものたちも実におおらかである。半島全体で650頭はいる、と見られている北限のニホンザル。絶滅の危機に立たされ、国の天然記念物に指定されてから徐々にその数を増やし、今ではいたずら者として厄介視されている群れもある。人間との共存は困難を極めるが、サルが住むということはそれだけ豊かな自然が残されている、という証しでもある。

北限のサルたちは、体重も南方のサルに較べて2割方重く、ふさふさと輝くような銀色の毛並みをしている。県外からやって来て撮影を続けるうち、定住してしまった写真家もいる。北の地で堂々と生きるサルたちに、すっかり魅せられてしまったのだ、と話している。

車を走らせると、目前に飛び出してくるニホンカモシカもそうである。間近に寄っても、人間との距離を微妙に保って、超然としている。

寒立馬の姿を追ってやって来る人々も多い。がっしりと太い脚、長いたてがみ。雪の中にじっと佇み、春を待つ光景は、人の胸を打たずにはおかない。

滅多なことでは見られないが、山の奥深く、ツキノワグマもひっそりと生息している。

定住派の生きものだけではない。12月ともなると、越冬と採餌のため、ここ川内川の中流目がけて、オオワシ、オジロワシ、ミサゴ等、大型の鳥たちが飛来する。川内川には、鮭が遡上する。それを狙ってやってくるのである。彼らは鮭が産卵を終えるのを待って、食餌をする。待って、というよりはその生が終わるのを見届けて、という方が当たっているかもしれない。そこには、自然の摂理とも言うべきものが確かに働いている。掟、と言い換えても良い。それを見る我々人間は、知らず、厳かな気持ちにさせられるのである。

こうして書き並べてみると、下北は生きものの宝庫なのだ、と再認識させられる。生息するには、それを支えるだけの下地が要る。植物群である。ひばの林、ブナの森、地を這うように群れる名も知らぬ野の花。そのどれもが、動物たちの生きていく循環を支えている。多彩であり、多様である。余りにも身近に有りすぎて、ともすればその素晴らしさを忘れてしまいそうになる自然である。

自然を破壊すれば、その自然によって、手ひどいしっぺ返しを食う。逆らわず、受け容れて、学びとる。そこから総てが始まるように思う。美しく強靱な自然にいだかれた下北であるが、それとはまた別の楽しい構想に向かって、今、着々と準備を進めているところである。

木村守男青森県知事の提唱によって、山桜とハマナスを植えよう、というもの。昨年、十和田において第1回目のイベントを開催した「あおもり春もみじまつり」。第2回目の今年は、規模を拡大して、4月中旬から約2カ月に渡り、十和田湖焼山、西海岸(鰺ヶ沢町、深浦町、岩崎村)、西目屋、そして、ここ下北で開催された。

「春もみじ」とは聞き慣れない言葉のようだが、「木の芽時」という春の季語の傍題として、俳句大歳時記に取り上げられている。木の芽と言えば、一般に山椒を思い浮かべるが、万緑の萌えだす季節を指す。雪が消え、木々が一斉に芽吹く。その様子を紅葉に例えた言葉である。

「春もみじ」イコール「青森県」のイメージがわくように、それぞれの地域の文化観光資源を活かし、春の息吹を堪能しようという試みである。知事は、その開会式の席上「青森県の山々を濃いピンクの山桜で埋め、海岸線をハマナスで飾りたい」と、力を籠めて話された。想像するだけで心が浮き立つような美しさではないだろうか。

しかしそれは、大変な労力を必要とする作業でもある。川や海をコンクリートで一気に護岸するような、そのような簡単なことではない。生きている自然が相手なのだから。

実現した時にも、それはしっくりと調和して、もとからあったように思わせるものでありたい。この地球の上で、人間の住まない所は殆どない。人間の住めない極寒の地でも、人間の営みの影響は確実に及んでいる。もとからある自然と、人間が手を加え育む自然。壊さぬように、お互いを引き立てあって、おおらかに。

はるばると美しい下北へやってこられる旅人のために。それ以上に、この地で生まれ育ちゆく人のために。胸にロマンをいだいて、取り組んでいきたい。