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 これで日本は大丈夫か

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年2月7日

茨城県伊奈町長 飯島善

1 荒涼たる世紀末の風景

平成12年はちょうど西暦2000年にあたる。したがって今年は20世紀最後の年になるわけである。

キリスト教世界ではこれを「ミレニアム」と称して遙かなる未来に夢を託し祝福する。しかし、私は日本の置かれている現状を見るとき、到底そんな気分にはなれないのである。

というのは数えあげたらきりがないのだが、例えば、大阪府知事の辞任劇をはじめとして、原子炉の臨界事故や警察官の不祥事等に見られる朝野を問わぬ緊張感の弛緩現象。いとも簡単に子女を誘拐したり殺害してしまう恐るべき精神構造。今では流行語にさえなった「学級崩壊」に象徴される教育現場の混乱。

外敵が侵入してきたらまずは逃げるという、腑甲斐ない日本男子。

何を国益と心得ているのかわからない日本の外交や防衛論議。等々がそうさせている。

一体何が日本をこうさせたのだろうか。

右の根本原因は、極言すればまぎれもなく戦後教育の失敗である。

思えば今から15年前(昭和59年)、臨時教育審議会が中曾根総理の直属の諮問機関として発足した。当時は日本の教育改革をめざしたこの審議会は鳴物入りで喧伝され、戦後教育のひずみは一挙に是正されるかに見えたが、これは効を奏しなかった。それは今日の教育現場の状況を見れば明らかである。

最近、当の中曾根元総理は「臨教審による教育改革は失敗だった。」と自らテレビに出演して述べている。臨教審は官僚主導のもとで、教育荒廃の真の原因は何か、について突っ込んだ審議ができず、お座なりの答申になってしまったからである。

つまり、個性の重視だとか教員の資質の向上だとか生涯学習体系への移行だとか、小手先だけの改善に終始してしまったことはまことに残念でならない。

3 国を守る気概の喪失

昨年4月「日米新安保ガイドラインと有事立法に反対する」という革新団体から、周辺事態法案に関する小職あての公開質問状が届いた。

質問の内容は周辺事態に際して、国から自治体に協力要請があったとき、どのようにこれを受けとめ、どう対処するつもりか。というものであった。私はこんな愚問に答える必要はないと思い敢えてこれを黙殺した。

国家国民の安全を確保するのが国の最も重大な使命である。国の存立が危ぶまれ国民の安全が脅かされようとしているとき自治体は勝手なことができると思うのか。

私が一番恐れるのは、国家や国防に対する日本人のあまりの意識の低さであって、外国の侮蔑を買っている現状である。

これはまさしく、戦後日本のゆがめられた平和主義や人権教育の当然の帰結と言えるのではないだろうか。

4 望みなきにあらず

八方塞がりの暗いトンネルに一条の微かな曙光がさしてきたように見える。

それは、①石原慎太郎東京都知事の誕生であり、②『国民の歴史』の発刊であり、③天皇陛下即位10年奉祝に見られる国民の意識の健全さである。

昨年4月石原氏は青島幸男氏の後をうけて颯爽と登場してきた。大国に媚びずおもねられず、中央政府を相手に首都東京の大改革を断行するという。心強い限りだ。

西尾幹二著『国民の歴史』は日本の国家の成り立ちや民族の英知と努力で築かれた歴史や文化を正しく伝えるもので、日本再生の決め手になると言っても過言ではなかろう。

天皇陛下即位10年を奉祝する集いに参加して、意を強くしたことは、常に国民と共にある皇室、あるいは天皇制というものに対する国民の熱き血潮を肌で実感したことである。

日本もまだ捨てたものではないと思う。